愉気の会~触れることについて(アレクサンダー・テクニークと共通するもの)

整体(野口整体)の、「愉気(ゆき)の会」に、ひさしぶりに参加しました。

整体協会の本部道場がある二子玉川も、何度も通いましたが、ひさしぶりに来てみたら、再開発で大規模に工事中で、全然変わってしまっていました。
でも本部道場が近づくと、変わらない風景です。

講座では最初に野口裕介先生のお話がありました。 註) 野口晴哉先生のご子息のひとりです。
「進化論が正しいかどうかはわかりませんが、そういうひとつの考え方がある」などといいながら、人類のはじまりから、人類が、スピードが出て安定する四足歩行をあきらめてまで、手を使うようになった話、それから、手を使って愉気をする話になるという、壮大な話を、いろいろ脱線しながらされて、おもしろかったです。

それから全員で円を作って、手をつないで気をあわせ、手の感覚をとりもどす。そして、脊椎行気(=背骨に気を通すこと)、二人組みで、ひとりが寝て、背中に愉気 という流れは、何年も変わらずいつも同じです。その後やることは、季節にあわせて変わります。先日の会では、横向きになって股関節の愉気をやりました。

愉気の会は、最初は子どもをもつお母さん向けにということではじまった講座だそうです。専門家向けではなく、一般の人向けの講座です。(整体協会のメインは、そういう講座なのです。)でも、一方的にしてあげるのではなく、手をあててあげて、手をあててもらって、「お互いに」、というところがポイントになっています。

私はこの講座が大好きで、何年も来ています。(最近は少し間が空いてしまいましたが)。どこが好きかというと、シンプルで、「ただポカーンとすればいい」ところ。

そうなのです。「ポカーンとする」のが一番大事だと、講座では言われるのです。
「具合が悪そうなので直してあげたい」と、一生懸命になってしまうと、「心配の気」を愉気(=気を送ること)してしまうので、よくないのだそうです。

でも「ポカーンとする」(無心になる、ともいいますね)は、なかなか難しいときもあるので、円を作って手をつないだり、脊椎行気をしたりしてからはじめます。すべて簡単なことなので、家でも誰でもできます。でも、会に参加してみなさんとやると、やはり、やりやすいので、私はなるべく定期的に(といかないことも多いのですが)通うようにしています。

人の体に手をあてるとなると、「どこにに手をあてたらいいのか?」ということが、気になりますが、それもあまり気にしなくていいといわれます。一応、効果的な場所は先生は知っているし、教えてもくれるのですが、一番大事なことは場所ではないといわれます。場所があるとすれば「つい、手がそこにいってしまう」場所がよい、というのです。
そういうふうに、本能というか、「勘」「感覚」というか、そういうものを大事にすることを教えられます。

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私にとってはアレクサンダー・テクニークで生徒さんに触れるときも、それと同じ感覚です。アレクサンダー・テクニークでは、「本能」というような言葉は使いませんが、どこに触れてもその人全体に触れているのだから場所は問題でなく、一番大事なのは、「あなた自身の自分の使い方」だ、と言います。

言い方は違いますが、だいたい同じことだな、と私は感じます。

逆に、たとえば首であるとか、ある一箇所が気になって、そこだけに教師の意識がいってしまうと、教師自身の意識の範囲が狭まってしまって、触れられても心地よくないし、変化も起こりにくくなってしまうのです。だから、首に触れるにしても、その人全体を思うことが大事なのです。

これは、自分で自分にワークするときも同じです。体の一部分だけに意識を集中させないことが大事なのです。

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愉気の会がおわったら、頭も体も全体的にすっきりして、また、股関節の愉気もしてもらったので、股関節も動きやすくなりました。最近、スポーツ車タイプの自転車をまたぐときに、足をあげにくいと感じることがあったのですが、それもなくなっていました。

股関節の愉気は、今の季節(2月ごろ)に、小水が近くなるというような症状にも、よいようです。あわせて、水をよく飲むことも勧められました。(ガブガブ飲むのではなく、ちびちび、少しづつ飲むのがよいそうです。)

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このように、愉気というのは効果もあるし、とてもよいものなのですが、それとは別に整体操法というのが、整体協会では、あります。整体操法は、治療という言葉は使っていないけれど、手での施術を使って、体を整える、治療的なものです。いわゆる「整体」といって多くの人がイメージするような、先生にやってもらうものです。

でも治療という言葉を使わないのは、あくまで、自分で自分の体を整えることが主で、そのために愉気や、活元運動があって、それの補助として、整体操法がある、という考え方だからということです。

(この考え方も、アレクサンダー・テクニークと共通しています。アレクサンダー・テクニークでも、教師がハンズ・オンしながら教えるのは、あくまで「教育」だといいます。自分の使い方を学ぶためのひとつの手段なのです。ただ、アレクサンダー・テクニークには、愉気や活元運動にあたるものは、ないかな?)

さて、あるとき、愉気の会で、愉気はしろうとにこそできるもの、という裕介先生のお話があったことがありました。
それはなぜかというと、「愉気は時間がかかりすぎるから」ということでした。

その人そのときの状況によって、どのくらいの時間で終わるかわからない。早く済むjこともあるけれど、えんえんと、時間がかかることもある。それを、時間を気にしないで待つ覚悟がなくてはいけない。
それは、専門家にはできないことだ。専門家は、一日何人もの人を見なければならないし、時間を気にしないでやるわけにはいかない。ということでした。

なるほど!!と思いました。

そう考えると、愉気はとてもぜいたくなものです。
そして、専門家には専門家にしかできないことがあるのと同時に、
しろうとにしかできないこともあって、
それはどっちが優れているとか、そういうことではないのだな、
ということが、わかったのでした。

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愉気については、整体協会の直営の書店である、全生社から、『愉気法1』『愉気法2』という本も出ています。なかなか、よい本です。

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One thought on “愉気の会~触れることについて(アレクサンダー・テクニークと共通するもの)

  1. これから少しずつ読ませていただき
    アレキサンダーテクニックについてもっと勉強させていただきたく思います。
    宜しくお願いします。

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