片桐ユズルさんは、1980年代から日本にアレクサンダー・テクニークを紹介してくださった、京都精華大学の大学教授(英語教育が専門)です。
「先生」と呼ばれるのを嫌い、「ユズルさん」と呼んでほしいと言われていたので、私たちは皆「ユズルさん」と呼んでいました。
ユズルさんは、ヨーロッパ各国やアメリカから、アレクサンダー・テクニークの多様な流派の先生方を呼んでレッスンやワークショップをオーガナイズして、オーガナイズしながらご自身も学んで60代後半にAT教師になられて教えてこられました。
私も、大学生だったときにユズルさんからアレクサンダー・テクニークを勧められて、鎌倉在住のスイス人の先生のレッスンを受けに行ったり、京都で開催されるアメリカ人の先生のワークショップを受けに行ったりしたのが、アレクサンダー・テクニークに出会った最初でした。
最初は、なにやらよくわからなくて、ユズルさんにもそう伝えました。そうしたら「まあ、続けたらいいよ」と言われ、続けてみました。
自分のセルフケアのために時間をかけるためのは、20代だった私にはとても贅沢に感じ「(こんな若輩者が)こんなことしていていいのかな?」「何のためにやっているのかもわからないのに…」と思いつつですが、
やっていることの意味は、後になってからわかる、ということも、ありますね。
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その片桐ユズルさんが10月6日(金)国立宇多野病院で永眠されました。92歳でした。
訃報を聞いて書いた文章を、ここにも載せておきます。(乱文のままですが)
片桐ユズルさんが居なければ、今の私はなかった。
アレクサンダー・テクニークにも出会っていなかっただろうし、あるいはもし別ルートでATに出会っていたとしても、今のような形でそれを理解して、人に伝えたりはできていなかっただろうな。もっと視野が狭くなって、途中で、自分にはムリとか、あってないとか思って投げ出していたかもしれない。
ユズルさんは、最初の頃から、一見全然違う教え方のようなアレクサンダーの先生たちを、継続的に代わるがわる、日本に呼んでくれた。
晩年よく言われていたように、東と西が、日本で出会っていた。ユズルさんが、橋をかけてくれていた。
トレーニングコースに集まる人たちも、とても多様な人たちだった。
ユズルさん自身、英語教育、意味論、一般意味論、フォークソング、からだのこと、ソマティック…
それまで全然違うジャンルだと思われていたものが、ユズルさんのなかでひとつになっていて、その、混然とひとつになったものを、丸ごと紹介し続けてくれていた。
違うジャンルと思われていたものもつなげ、混然となったまま、場にしっかりとそれを置いてくれたと感じています。
その真ん中には、「いま、ここにいて、体験する」ことを大事にするということが常にあったように思います。
野口整体も、ユズルさんが紹介してくれた。
近所の先生の名前を教えてくれて、その先生に今でもお世話になっている。引っ越したときは引越し先のおすすめの先生を教えてくれた。みなさん、味わい深い、いい先生たちだった。
ユズルさんは、「地図は現地ではない」
という言葉も紹介してくれた。
地図を見てわかった気になっても、ほんとうにはわからない。
ユズルさん自身、興味を持たれたものはなんでも、実際に体験してみる人だった。それは本当に晩年まで。そして、一度体験してよいと思うものは、体験し続けていた。
時間の経過によって変わり続ける一期一会を、体験し続けてられた。
私がボストンからデビさんを呼ぶようになったら、80台後半のユズルさんは、毎回、東京までいらして、交通費と宿代とレッスン代を払って受けに来られた。
人と話したり、一緒に美味しいものを食べたり、手紙のやりとりをしたりするのが大好きだったユズルさん。最後まで年賀状をくださり、そこに一言添えられる、おどっているような文字が、ユズルさんの、ほがらかな人となりをいつも表していました。
感謝とともに、ご冥福をお祈りしています。
そして、ユズルさんが多くの人たちに分け隔てなく渡してくれたもののうち、私が受け取ったものを、あらためて大切にしていきたいなと感じています。
そして、ユズルさんが多くの人たちに分け隔てなく渡してくれたもののうち、私が受け取ったものを、あらためて大切にしていきたいなと感じています。