- 石井ゆりこ プロフィール
- 石井ゆりこ インタビュー
- Q. なぜアレクサンダー・テクニックをはじめたのですか?
- Q. littlesounds.com という名前の由来は?
- Q. アレクサンダー・テクニークを教えるにあたって、心がけていることは、なんですか?
- 石井ゆり子 ブログ
石井ゆりこ プロフィール
東京生まれ。東洋大学文学部教育学科卒。
1988年よりアレクサンダー・テクニックを学び始める。個人レッスンやワークショップで継続して学んだ後、95年より京都アレクサンダー・テクニック教師養成スクール(KAPPA)に入学。4年間1600時間のトレーニングを経て99年に卒業。 ATI(Alexander Technique International) 公認を受けアレクサンダー・テクニーク国際認定教師に。東京で教え始める。(はじめは東京で唯一の教師だった)。
その後米国Alexander Technique Center of Cambridge他で継続的に学ぶ。ミード・アンドリューズ、ブルース・ファートマン、イムレ・トールマン、 トミー・トンプソン、デビ・アダムス、ルシア・ウォーカー、アン・ワックスマン他のアレクサンダー・テクニークを師事。 またジェラルド・ ハーシャー(アンドーヴァー・エデュケーター)には、ギタリストのためのボディ・マッピングを習う。
1998年より東京で教え始める。 音楽家、ダンサー、俳優、アスリート、またウンセラー、セラピスト、看護師、理学療法士、整体師、また会社員、学生、主婦など、現在まで約3000人以上の方(延べ2万人強)に教える。
言葉と言葉以外のダイアログで、生徒さんの気づきと変化にじっくり寄り添っていくのが持ち味。
また、オーケストラ、ブラスバンド、対人援助職、看護師、介護職従事者のグループ などで教えたり、アレクサンダー・テクニークの教師養成校のクラスでも教えてきた。
2008年~2011年 洗足学園音楽大学専攻科(器楽専攻科、声楽専攻科)講師。
2009年~2018年 TEENSPOST(町田市、子ども・若者・女性の心のケア・サポートをするNGO)にて、月1ワークショップ。
2016年~2023年現在 国立音楽大学非常勤講師
ほか、市立士別総合病院、東京農業大学、大和市生涯学習センター、世田谷区福祉人材育成・研修センター、中央区区民カレッジ、静岡県立沼津西高校、北鎌倉女子高校、島村楽器、NHK文化センター、早稲田大学エクステンションセンターなどで講座を担当。
88年より野口整体、98年よりプロセス指向心理学も継続して学んできた。 2011年 AMI国際モンテッソーリ協会アシスタントコース終了。
自然としての人間を、心身をひとつのものとして扱うソマティック(somatic)なワークに興味をもちつづけている。 また、ひとの多様性と、自分のこころとからだを自分のものとして取り戻すというテーマに興味がある。
ギター弾き語りが趣味(3歳の頃から音楽が好きで、ピアノ、フレンチホルン、バンジョー、ギターなどを学ぶ)。水泳、自転車散歩、ハイキング、SUP(スタンドアップパドルサーフィン)、キャンプも好き。
著書
- 『無駄な力がぬけてラクになる介護術』誠文堂新光社
- 『演奏者のための はじめてのアレクサンダー・テクニーク』ヤマハ・ミュージック・メディア
- 『トミー・トンプソン著『存在に触れる~ありのままの今にいるということ』easeofbeing press 監訳
石井ゆりこ インタビュー
以下は2007年の、石井ゆりこインタビューです(その後、追記しました)。
Q. アレクサンダー・テクニーク教師になるまでのことを教えてください。
大学生の頃、私は自分自身でいるということへの信頼感も、自分がしたいことをできる自信もあまり持てずに、くすぶっていました。まだ日本にはアレクサンダー・テクニーク教師がおらず、アレクサンダー・テクニーク自体が日本ではほとんど知られていなかったころです。(1988年)。私も何の知識もないまま、「あなたには合ってる気がする」と、知人に誘われて、米国から対日したミード・アンドリュース先生のワークショップを受けに京都に出かけました。
その知人というのは京都精華大学教授の片桐ユズル先生。私は、文字に表すことのできない文化に興味を持っていて、フォークソングについての本を書いている片桐ユズル先生(「ユズルさん」と呼んでほしいと、ユズル先生は皆にお願いしていました)にコンタクトをとったことをきっかけに、ユズル先生を通して、からだと心のつながり、ソマティックなワークの存在を知り、自分が求めているものがそこにあるかもしれないと思うようになっていました。
はじめて参加したアレクサンダー・テクニークのワークショップは、米国から来日したミード・アンドリュース先生が講師。そのなかで「人前で話す」ということをやってみました。私は人前で緊張しやすく、声も小さく、よく「聞こえない!」と言われていたのですが、そのとき、自分が人前で話しているのになぜか体は緊張していない、ということをはじめて経験しました。とても驚きました。
ただ、自分の体に起こっている変化は繊細すぎて、変化と言っていいのかどうかもわからないほどの繊細さで、うまく言葉にできないようなものでした。
それでも、このワークは「継続してこそ意味がありますよ」と、先生に言われ、自分のためにレッスンを続けてみることにしました。当時、東京には、日本文化を学ぶために来日しつつ、アレクサンダー・テクニークを教えていた、レグラさんと、イムレさんという、スイス人の先生が居て、最初はレグラさん、それからイムレさんのレッスンを受けるようになりました。
そのレッスンにどういう意味があるのかは、自分でもよくわかりませんでした。ただ、勉強や仕事や趣味などの活動をしているときとは違う、何かを「する」ためではない、シンプルな自分のために使うぜいたくな時間で、そんなふうに自分が時間を使っているのが不思議な感覚でした。とくに、当時のスイス人の先生方のやり方は、立つ、座る、仰向けに寝る、などのシンプルな動作のなかでのワークのみをやる、クラシックなワークだったので、なおさらそんなふうに感じました。
ワークショップの間だけでなく、日常でも声を出すのが楽になることができるとは、想像することができず、なので、あまり期待していませんでした。人前で声を出したり、話をしたりするのは、物心ついてからずっと苦手だったので…。
しかしレッスンを受け始めてしばらく経つと、気づいたら、以前と比べてだいぶ声を出すのが楽になっていました。それから、歌うことを、レッスンで見てもらうようになりました。歌うということには、私自身かなり思い入れがあり、「好きだけどどうせうまくできない」という、自分に対する思い込みも強かったので、最初は難しかったです。でも、だんだん人前で歌うときも自分自身が気持ちよいと思えることが増えてきました。
なによりと、のびのびと自分自身でいられる時間が増えてきました。写真を見ても20歳のころより、20代後半以降のほうが若々しいような気がします。
個人レッスンを受けつつ、来日した先生のワークショップが京都であるときには、京都に夜行バスで行ってそれに参加していました。
ワークショップの先生はアメリカ人の先生が多く、スイス人の先生方とは違うやり方で、その人その人の興味あることを実際にやること(アクティビティ・ワーク)を、ワークに取り入れていました。
ワークショップでは自分自身のことだけでなく、参加者ひとりひとりの、その人らしさが、ワークを受けることをきっかけに、あらわれてくる瞬間に立ち会っているように感じて、その瞬間のかけがえのなさを感じていました。
教師には、最初はなるつもりはありませんでした。ただ、もっと学びたいと思い、日本ではじめてできたアレクサンダー・テクニック教師養成の学校に入学しました。京都に移住して、左京区黒谷の金戒光明寺というお寺のなかのアパートに住み、仕事を見つけ、昼間、働き、夜と土曜日、学校に通いました。
学校での授業は、その”KAPPA”という学校の先生はダンサー出身の方が多かったこともあって、とにかく体験重視で、遊びのようなことも多くとりいれられていました。一方、ワークしていくうちに感情的なことが出てくることも結構ありました。アレクサンダー・テクニークは、からだをとおして、関わりについて気づき、学ぶもので、それは自分との関わりでもあり、他者との関わりでもありました。そこには正解はなく、試行錯誤する場のなかで、自分にとって何が大事なのかを発見していく、そんな時間でした。
教師になるかどうかはともかく、自分の人生にとって大事な経験をしている時間だという実感がありました。
学んでいるうちに、アレクサンダー・テクニークは特別な才能ではなく、自分自身をみていく訓練なのだということがわかってきました。 自分自身を観られるようになるプロセスが、他の人に教えられるようになるプロセスなんだということがだんだんわかってきました。 教えるということが、そういうプロセスを共有するということなら、私にも教えられる、と気がつきました。 卒業して、「仕事」として成り立つかどうかは未知数ながら、教えてみることにしました。
1999年に東京に戻り、そのころもまだ、アレクサンダー・テクニークという言葉を聞いたことがある人を探すのが難しい頃でしたが、友人に協力してもらってウェブサイトを作り、アレクサンダー・テクニークを紹介したり、教えたりしはじめました。
追記:
教え始めてみて気づいたのは、生徒さんとして来てくださる方から学ぶこと、生徒さんも私も、やりとりのなかで、お互いに学んでいる、ということです。そしてさらにワークの奥深さに触れて、もっと学びたくなり、ボストンのトミー・トンプソンの教師養成コースの門をたたきました。
数ある海外の学校のなかでトミー・トンプソンの学校を選んだのは、アレクサンダー・テクニークのクラシックな教え方(主に立ったり座ったりのチェアワークや、寝た姿勢でのテーブルワークをメインとしたような教え方)と、新しい教え方(主にその人が興味をもったいろいろなアクティビティを通じて教える教え方)の橋渡しができるようなところで学びたいと、KAPPAの先生のひとりである、ローザルイザさんに相談したところ、そこを勧められたからです。
行ってみたら、クラスの雰囲気も、学ぶ内容も、まさに自分が求めていたようなもので、それから毎年通うことになります。
Q. littlesounds.com という名前の由来は?
森の中を歩いたり、すばらしいコンサートに行ったり、アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けたりして感覚がひらいた時、空間のあちこちにある音が、空間を構成しているということに気づいたりします。
また、人のひとりひとり、存在のひとりひとりも、同じようなものだと思います。ふだん、とりたてて目立たないような小さなひとつひとつの存在が、存在していることで、この空間が存在している、、、のだと思っています。同じように、自分のなかにいる、さまざまな人、自分のなかにあるさまざまな響き、どれも自分を構成している大事な要素なんだと思います。そんなことをアレクサンダー・テクニークのレッスンをとおして分かち合えたらと思って、名づけました
Q. アレクサンダー・テクニークを教えるにあたって、心がけていることは、なんですか?
アレクサンダー・テクニークを教えるというのは、生徒さんが学ぶことをサポートするということだから、 アレクサンダー・テクニークのレッスンの主体はあくまでも生徒さんです。 そのことを一番大事にしていきたいと思っています。
そのために私が心がけていることは以下のようなことでしょうか。
・明快で、でも押し付けではないハンズ・オン、そして言葉
・一方的なレッスンにならず、ダイアログ(対話)があるレッスン(言葉のレベルだけでなく)。
・その人が今どういう状況にいて、なにを感じ考えているかを、よく聞いて、よく観る。
・自分が使う言葉をよく検討しなおす。
・私自身が、よいコンディションでいること。
これが一番むずかしいかもしれませんね(笑)。
ちなみにこの場合の「よい」というのは”good” というよりも、「自分全体でいること」と言ったほうがよさそうです。
・信頼できる先生にレッスンを私自身がなるべく定期的に受ける。
これは、ブラッシュアップのためもそうですが、それだけでなく、それ以前に 自分のメンテナンスのため、そして、原点を忘れないためにも、とても大事なことだな、と感じています。
・アレクサンダー・テクニークのほかに、自分が何か新しいことを、学ぶ状況をつくる。
今は、合気道と、アフリカンダンスを、少しづつならっています。まだ始めたばかりでうまくはできませんが楽しいです。そしていろいろ発見があります。(2007年現在)。
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