9月に、モンテッソーリ教育のアシスタントコースというのに参加しました。
モンテッソーリ教育の考え方のエッセンスを、10日間集中して学ぶのです。今回日本ではじめての開催だそうです。(もちろん、モンテッソーリ教育の教師になるにはもっとずっと長い時間が必要です。これはまあ、エッセンスを学ぶコース)。
深津高子さんからモンテッソーリ教育のお話を聞いて、興味が沸いていた私は、もう少し知りたくなっていたので、よいタイミングかも?と思って思い切って参加してみました。
10日間の講義のほかに、8時間の観察実習という時間があって、それは、保育園に行ってやります。
モンテッソーリ教育では、「観察」を、とても大事にしています。
なにか問題が生じたときも、よく観察してみると、自ずと答えが見えてくることが多いとのこと。
でもその観察には、練習が必要だ、と言われました。
観察実習は、その練習の一環です。教え方を観察するのではなく、子どもたちを観察します。解釈したり、何かの答えを得る必要はなく、ただ観察するだけです。
(ちなみにこの「観察」は、アレクサンダー・テクニークでもとても大事なことですね。アレクサンダー・テクニークではとくに、自分自身を観察することが大事。)
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金曜日に、観察実習のために、保育園に子どもたちの観察に行きました。
保育園なんて、ふだん行かない場所だし、それに保育士さんたちのことはつねづね尊敬しているので、すごく緊張してしまったけれど、観察をはじめたら、とてもおもしろかったです。
自分は子どもとかかわらず、目立たないように座って、判断ぬきでひたすら子どもたちを観察して、ノートを取るのです。ノートは清書したり、あとで書き足したりせずに、コピーして提出するのですが、それはそれとして、感想も交えて、ここに書いてみます。
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まず園に行って印象的だったのが、先生が、大きい声を出さないところだった。
用事があれば、用事がある子ども(達)の近くに行って、普通の声で話す。そういう大人と一緒にいるからか、子どもたちも、ギャーギャー叫んだりしない。
一度だけ、男の子が金切り声をあげて、それからえんぴつを片手に、ほかの子になぐりかかるまねをした。
みんなそっちを見て、ある子は耳をふさぐ。
先生が、男の子だけでなく、男の子のまわりにいた子達をみんな呼んで、「なんで○○ちゃん、こんなに怒ってるの?」と、みんなに状況をまず聞いて、それで対処していた。
大人の役割は環境を整えることで、指導することじゃない、という。
それで子供達は全然カオスになったりしていなくて、それでいて生き生きしていた。
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部屋の中、ピアニカを吹いてる子や、字のゲームをやってる子、見本を見ながら折り紙をやってる子、
ひとりでやったり、グループでやったり、それぞれ、いろんなことをしていた。
私は机に向かって並んで座って紙に何かを書いている4歳位の男の子たちの背後、少し離れたところに座り、その子たちを観察することにした。
そのうちのひとりの男の子が、最初、椅子に、片方のお尻だけを乗せて座ったり、いろいろ座り方を変えたり、隣の子をのぞきこんだりしていた。
しばらくしてそのうち、集中してくると、座り方も変わって、アレクサンダーでいう上向き方向が自然に出てきた。
そして書いた紙をはさみで切りはじめた。隣の子たちは書くのをやめて、道具をしまいに行ったが、ひとり残ったその子は、そのまま続けていた。
それから立って、セロテープを使っている子にセロテープを借りに行った。
セロテープ、使っている最中だったようで、使う分だけ切って持ってきた。
切った紙を貼り合わせて、それから紙を置いて席を立って、「シュワッ」とか言いながら、ちょっと武術っぽいような、大きな動きを何度かして、また席に戻って、作業を続ける。
しばらくして席を立って、糊を使っている子に借りに行くが、使っている途中だったようで、貸してもらえない。
セロテープを使っている子のところに行き、だいぶ長いこと待って、ようやく借りてくる。
すぐに別の子が来て、「ねえ、セロテープ貸してくれない?」
「えー!」
「じゃあ、一緒にここでやろう」と、その子は隣に座る。そばにいたら、貸し借りも、しやすい。
しばらくして、剣ができたようだった。
使っていた紙が薄い紙だったので、貼り合わせてもへなへなで、剣にしては心もとないように、大人の目からは見えたけど、本人は気にしてないよう。
それを「シュッ」と言いながら、その場で振り回してみる。
通りがかった子が「なにそれ?」と言う。多少、冷ややかそうな言い方にも聞こえたけど、本人は気にしてないよう。満足そう。
トレイに載せたはさみを、棚にもっていき、はさみを瓶にいれ、トレイを置く。
トレイに載せた色鉛筆を、別の棚にもっていき、色鉛筆は一本づつたしかめながら、色別に、瓶に入れて、しまう。そしてトレイを置く。
それから彼は外に遊びに行った。
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モンテッソーリの講義で学んで印象的だったこと
「大人の役割は指導することではない。環境を整えること」
このことは、ほんとうに、繰り返し出てきた。
その意味が、モンテッソーリを取り入れた園に観察に行って、少しわかった気がした。
大人は、先生も含めて、黒子に徹していて、目立たない。
ほかに印象的だったことは、正常な成長から逸脱してしまった子どものために必要なことは、
「集中できる経験」 「真の満足」 「自分の力を使って『できた!』という経験」
とのこと。
「子どもは秩序を愛する」という話も印象的だった。
それも、今回、園に行って、ほんとにそうなんだな~と思った。
片付けやすい環境が整っていれば、子どもは、片付ける。 それも、いやいやとか、面倒くさそうにではなく、片付ける行為自体を楽しんでいるように見えた。
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お昼を食べるところも観察させていただいた。
大人が正座してちょうどいいくらいの配膳台があって、お盆を持っていって並んで、おたまでおみそしるを、子ども自身がいれて、お盆を食卓に持ってきて、お皿を全部並べたら、お盆をいったん返してから、食事をはじめていた。
みんなお箸で上手に食べていて、その様子も、なんだか美しい食事風景だった。
とってもご無沙汰してます。
KAPPA 一期の西岡寛です。
モンテッソーリ面白そうですよね。
僕も深津高子さんから、モンテッソーリについては色々教えてもらって、興味を持っいます。実は10年以上前からでした。
F.M.アレクサンダーのトレーニングにも、モンテッソーリ教育に携わっていた人が関わっていたと思いますよ。僕には、AT は教え方について、モンテッソーリの教育方から、学んでいると思えてなりません。
かんちゃん、おひさしぶりです。
コメントありがとうございます。
先日ちょうど深津高子さんと、かんちゃんの話をしていましたよ。
モンテッソーリとアレクサンダー・テクニーク、共通点がありますよね。時代、というか年齢もほとんど同じくらいなんですよね~。あの時代の、人間性についての洞察に、ある種の雰囲気があったんだろうなあ、と、思いながら、いました。うん、興味深いです!