体力ついたかな?(ワールドワーク報告その1)

きのうはかなり蒸し蒸しした日でした。
私はこういう日はとても苦手、な、はずなのですが、不思議ときのうは全然つらくなくて、そんなに蒸し蒸ししているのも人に言われてはじめて気づくぐらいでした。

ゴールデンウィークに、オーストラリアのシドニーで、「ワールドワーク・セミナー」というのに参加してきたのですが、それで体力がついたのかな? 体力がついたというか、健康になったというか。。

それに、ちょっと痩せたみたいです。
すごくお腹がすくので、肉料理とかを毎日いっぱい食べていたのに、ズボンのベルトがゆるくなっているのが、とても不思議!

最近、お腹が気になっていたので、うれしいです!

いや、べつに運動のようなことは何もしていなかったのです。10分ぐらいバスケットボールで遊んで、30分ぐらい海に入ったほかは。。基本的に人の話を聞いているのがほとんどです。

でも、話を聞いているだけのときであっても、受け身ではいられないーかといって別に何か反応しなければならないわけでもないが、なんだか他人事として聞けないのです。

いろいろな国からいろいろなバックグラウンドをもった人たちが集まって(30数カ国から300人弱が集まった)、毎日、いろんなテーマについて、話し合います。

話し合い、というのもちょっと違うかもしれません。
少なくともなにかの解決をめざすような話し合いとは違うのです。
その”場”にある、対立したり異なったりするロール(役割)をピックアップして、そのロールに、あえて”なってみる”
そうすることによって、異なるロール同士が、お互いに理解を深めて、自分がいる場についても認識をふかめていく。

気づくことができれば、場は、自然に変化していく、という考えにもとづいているのは、アレクサンダー・テクニックと共通するなと思います。

たとえば「支配者」と「被支配者」というロールがあったとすれば、「支配者」のロールに自覚的に、”なってみる”というのは、とくに難しい場合が多いけれど、でも自分のなかにも被支配者的な部分と支配者的な部分はもしかしたら両方あるかもしれない、そういうふうな目で見て、自分のそういう力に自覚的になることで、力をどう使いたいかをあらためて考え直すきっかけになる、

ロールは固定しているわけではなくて、変化しえる、立場が違えば自分もそっち側に行くこともある、
だから、自分の気持ちが動いたら、こっちのロールからあっちのロールに移ったり、観ている人がぽっと入ってきたり、出てきたり、流動的なのです。

(もちろん大変なプロセスのときは、なかなか動くことができませんがー動けないこと自体がプロセスだということもありますが)

そんなような感じです。

だからどんな問題でも他人事と感じられなくなってきてしまう(実際、他人事じゃない場合がほとんどなんだけど)。

でも、だから大変かというと、もちろん大変なんだけど、
なんだか世の中に対する無力感みたいな気分から少し解放されて、ちょっと体力がついたみたいな感じがあって、悪い気分じゃない。それで具体的にどうするとかいうことがあるわけでもないのだけど。

そうはいっても最初からそうだったわけではなく、最初の2日ぐらいは大変だったし、後半になってきてやっとそう感じるようになってきました。

テーマとしては、
・アボリジニと白人
・女性であること
・”沈黙”の声/言葉の問題
・虐殺について
・ホモフォビア(同性愛嫌悪)/ヘテロセクシズム
・核/放射能
・”日本”について(小グループ)
などなどがありました。

こうやってあらためて書いてみると重いテーマが多いなあ。
またもう少しくわしく書けたら書きます。

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