整体協会の野口裕介(ひろすけ)先生が、3日の日に突然亡くなったと聞いて、とても驚きました。
裕介先生は、整体協会の創始者、野口晴哉先生の4人のご子息のひとりで、晴哉先生亡き後、協会本部の講座のほとんどを、裕介先生が教えていました。20代のときから40年間ぐらい、ずっと同じように、本部の畳の部屋に、同じ格好で座って、講座や、個人指導を教えてこられました。
私は裕介先生の個人的な指導を受ける機会はありませんでしたが、
裕介先生は毎月、決まった日に講座をされていて、私は20日に行われる愉気の会に、毎月行っていた時期がありました。(その前に、京都に住んでいたときに月1で毎月9日だったかの連続講座に行ったのが先だったか?)
立派な体格の裕介先生はいつも着物と袴で、会のはじまりには、合掌行気や愉気をみんなで実践する前に、毎回、いろんなエピソードを交えた長いお話をしてくれました。
少し古風だけど誰にでもわかるような言葉で、整体や愉気にかんする考え方を話してくれました。
お話があまりに長くて、それに毎月行っていると同じ話も多くて、気持ち良くなって、つい眠くなってしまうこともありました。でも、油断していると、同じ話がいつの間にか新しい展開になっていたりします。
そして、すごく真面目な人なんだけど、そこはかとないユーモアがあったりします。
たぶんそのユーモアは、人間を見るまなざしのあたたかさから来てたんじゃないかなと思います。
とにかく裕介先生のまわりには、いつも悠久の時間が流れているような感じがしていました。
最近は、20日の愉気の会に行けていなかったけれど、今でも、20日の日に行けば、変わらずお話してくれるように思えてなりません。
裕介先生が毎回のように言われていて、印象に残っているのは、
活元運動と愉気は、誰にでもできるもの。「たしなみ」として覚えておくとよいのです。
という言葉です。
・活元運動=無心になって、出てくる動きにまかせる運動。一人でやるものと、二人組でやる相互運動がある
・愉気=無心になって、相手の人に手をあてる
整体協会、野口晴哉先生、そのご子息というと、世間的には、カリスマ的な治療家というイメージがあるかもしれません。でも実は晴哉先生は、自分のところに来る人が、自分を頼って、「治してもらおう」という態度で来ることを嫌っていた。それは、自分の健康を自分で保とうとしない人を増やしてしまっているのではないか?と、疑問を抱いて、それ以来、自分の仕事は治療ではなく、教育だ、と言うようになったのです。
そうは言っても晴哉先生のお弟子さんには、優れた治療家と言ってもよいような方がたくさんいらっしゃいます。
お弟子さんの先生がされている「個人指導」も、一般的に言うと、治療と区別がつかないかもしれません。
でも、大事なことは、何かしてもらって病気が治ることではなく、自分の健康に自分で責任を持つこと、たとえ病気であっても、病気をかかえながら全生(自分全体で生きるということ)すること。
裕介先生も、そこを、とても大事にして、そういう意味で、「たしなみ」と言われていたのだと思います。
おそらく裕介先生は、専門家を養成することには、あまり興味がなかったのかもしれない。
技術の継承にも、そんなに興味がなかったのかもしれない。
それを、残念だと思っている人もいるのかもしれない。
でも、裕介先生が、晴哉先生から継承して、頑固に、死ぬまで飽きずに伝えてくださったことは、とても大きいことだと思います。
今の時代、からだの専門家がすごくたくさんいます。
私自身、体の専門家、と紹介されることも、たまにあるし、そう言ってしまっても違和感ないのかもしれない。
でも、それは本質的ではない。
からだの専門家は、そのからだを持っている、ひとりひとりの人みんな。
私はそれをサポートするだけ。
同時に、自分自身が全生を生きているかということも、もっとつねに振り返らなきゃな。
それが、技術よりも何よりも大事なこと。
アレクサンダー・テクニークも、治療ではなく教育なのだ、と、創始者のF.Mアレクサンダーも、それを継承してきた先生たちも言い続けてきました。
その「教育」の意味は、なにも知識をたくさん教えることではなく、
その人自身のもっている力があることを自覚させること、
その人自身に、力をお返しすること、
それが、「教育」の意味
だと思います。
あらためて、そこはほんとに大事なことだなと思います。
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