アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、頭と首と胴体の関係性を観てみることからはじめることが多いです。
私たちはいろいろな刺激を受け取って行動するとき、あるいはただ、そこに存在するだけでも、
・首が自由で、頭が高い位置にあり、胴体が長く広く自由
という状態と、
・首を無意識に固めて、頭で胴体を押し下げている
という状態を行ったり来たりしています。(ちょっと単純化した言い方ではありますが)。
その違いによって、自分全体としての存在の質や、なにかをしている場合なら、することの質や、やりやすさが変わってきます。
実際には当然それ以外にたくさんのことが起こっているわけですが、それ以外のことが気になるとき、それ以外のことを観たいときにも、まず、頭と首と胴体の関係性から観ていくことはとても役に立ちます。
頭と首と胴体の関係性のことを、アレクサンダーの用語で「プライマリー・コントロール」と言うのですが、「プライマリー(primary)」というのは英語で「まず第一の」という意味なのです。
首を固めたまま、腕や脚を自由に使うことは難しいし、
首を固めたまま、バランスを取ることも、
首を固めたまま、リラックスすることも、
首を固めたまま、持っている力を発揮することも難しいと思います。
首にはたくさんの神経が通っていて、脳からの指令を体全体に伝えるための通り道になっているので、
そこに”渋滞”が起こっていると、脳からの指令が体のすみずみまで伝わりにくくなってしまいます。
(興味があったら、実験として、わざと首を固めて、脚や腕を動かしてみたり、声を出してみてみてください。それから、固めるのをやめて、同じように動かしてみてください。)
ブルース・ファートマンというアレクサンダー・テクニーク教師は、そのことを暖炉と煙突に例えて、
「煙突がつまっていたら、暖炉を燃やそうとしても、燃やせない」
と、言っていました。この場合は首が煙突ですね。
通りをよくすることが肝心です。
さらに言うと、首だけではなく、
首は背骨の一部なので、
頭と背骨全体、そして、
頭と首と胴体全体がうまく使えていなければ、
手足をうまく使うことは難しい。
最近、よく「体幹」という言葉を耳にしますが、言おうとしていることはある意味、同じなのかもしれません。
ただし「体幹」を考えるときに頭と首も含めて考えるとよいですね。
頭も体の一部だということを思い出してください。
たとえば歩いているとき、足は頑張って動かしているのに、頭がその動きにうまくついていっていない、という状態だと、歩くバランスがうまく取れず、足がよけいに疲れ、肩や腰が痛くなりがちです
逆に、何かに向かって頭だけを突き出して、何かをしようとしても、首やほかの部分に余分な緊張が生まれ、体全体に情報がうまく伝達できず、うまくいきません。
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上にも書きましたが、頭と首と胴体の関係性のことを、アレクサンダーの用語で「プライマリー・コントロール」といいます。
「プライマリー(primary)」というのは英語で「まず第一の」という意味です。
「コントロール」という言葉を聞くと、自分ががんばってコントロールしないといけないのか、と思うかもしれませんが、そういう意味ではなく、人間という有機体システムそれ自体がプライマリー・コントロールを持っているのです。
なので、私たちの仕事は、体のシステムの仕事を邪魔しないでいる、ということだけです。
どこか気になるところがあるとき、
まず、プライマリー・コントロール/頭~首~胴体全体のつながりに目を向け、神経の情報伝達の通り道を開いてから、ほかのことを観てみましょう。
何かの動きを観てみたいときも、
まず、プライマリー・コントロール/頭~首~胴体全体のつながりに目を向け、神経の情報伝達の通り道を開いてから、動いてみると、何か気づくことがあるのではと思います。