きのう、葉山に行ってきた。
人に会うために行ってきて、その人と会ったのもとてもよかったのだけれど、その話はまたいずれ。
それでその後、お気に入りの海岸の丘で、寒風のなか、少しゆっくりしてから戻り、猫がいたので猫に話しかけていると、おばあさんがやってきて、ニッケ飴をくれた。
「この猫、私がえさあげるもんだから、私になついて、ついてくるんだよ」とかなんとか。
そして、
「バスで帰るの?バス停はこっちだよ」
と、バス停まで一緒に歩いてくれ、
「どこまで帰るの?」
「鵠沼です」
「じゃあ、鎌倉まで行って江ノ電?」
「そうです。」
「私もね、35年間、鎌倉まで勤めに行ってたの。」
「そうなんですね。どんなお仕事してらしたんですか?」
「鎌倉のね、裏千家。」
「お茶の先生なんですか?」
「ばかいっちゃいけないよ。
お茶の先生たちに、食事を出してたの。
朝、6時に起きてバスで通って、朝は注文聞いて、パンならパンとか、紅茶とか出して、昼はちゃんと自分で作ってね、夜も出して。。帰るのは毎日、10時過ぎだった。それを35年間。(もっとくわしくいろいろ聞かせてくれたが省略)」
「今はもうおやめになったんですか?」
「うん、75歳になったからね、やめさしてくれって言って、やめさしてもらったの。あなた辞めたら誰がお食事作ってくれるのって言われたんだけどね。」
「じゃあ今はやっとのんびりできますね。」
「いやいや、毎日忙しいよ。隣の家も、おばあさんが一人で住んでいるから、掃除に行ってあげなきゃいけないしね。」
言葉ではうまく再現できていないかもしれないけれど、
なんだか、話し方が江戸っ子というか、さばさばしていて気取りがなく、話聞いてて楽しかった。
「ばかいっちゃいけない」とかいう台詞がサマになるおばあさん、あこがれるなあ。
今、みんな丁寧な話し方になっちゃったからなあ。
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今日は家を出るときには、家の前にゆずの木があるんだけど、その実を、近所に住む外国出身のおじさんが、ゆすって採っていた。
このおじさんは、朝のごみ出しのときにいつも、ゴミ箱を持ってきてくれたり、何かと親切な人なのだ。
「こんにちは」と挨拶したら、ゆずにまつわる話をしてくれた。
(日本語は上手じゃなくて、途中から英語になった)
「このゆずはね、大家さんのDさんがこんなに小さい頃に、うちの妻に苗をプレゼントしてくれたんだ。そのころ僕らはこの古い日本家屋に住んでいたんだ。結婚式もここであげたんだよ。もう35年前のことになる。その木がいまではこんなに大きくなってね。
今は、あっちの家に引っ越したけど、この木の実はいつでもとっていいって言ってくれてるんだ。まあ言ってみれば、僕達の木だからね。いやいや、君たちがとってくれるのは全然かまわないんだよ。ただ、僕も、この実をぬすんでいるわけじゃないんだよっていうことが言いたいんだ。だいいちこの実も、これ以上木のうえに置いておいて、無駄になってしまってももったいないしね。ああやって奥まったところにある実は、鳥だって取れないだろうから」
今日はなんだか、いろんな人に話しかけられる日で、おもしろかった。
(写真は数日前に、私がほうきの柄でゆずを採っているの図)