体験を言葉にする/体験を共有する

勉強しているプロセスワークのグループのニュースレターに載せる文章を何か書いてほしいと言われたので、アレクサンダー・テクニークとプロセスワークについて書くことにしました。ふたつの手法を学び実践していることで、お互い補い合っているなあと感じるので、それについて書くことで、自分の理解も深まればと思いました。そして、どうせなら、そのふたつをやってるほかの人にも聞いてみようと、何人かにメールしてみたら、すぐに熱い(?)興味深い体験談のメールが返ってきました。

アレクサンダー・テクニークの体験について何か書いてくれませんかと言っても、「いやー、まだまだちゃんと理解してないし」とか、「書くのは難しいんですよね」「そのうちいつか」とか言われてしまうことが多いのに、「アレクサンダー・テクニークとプロセスワークについて」だと、書けるみたいなんですねー。

でも、それは分かる気がします。私自身、ふたつを比較するほうが、書きやすいんですね。

みなさんの文が、とてもおもしろくて、それをうまくまとめられたかどうかはわからないけれど、(おもしろいのに載せられなかった人の文もあって、残念&申し訳ない)でも、楽しんで書くことができました。このテーマ、もう少しこれからも探っていきたいです。

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きのうのブログにも書いた、週末のハルさん(村川治彦さん)の講演 http://www.east-westdialogue.org/J-CEW.htm のなかでの話で、アメリカでソマティクスやボディワーク、トランスパーソナルな、いろいろな技法や考え方が広まるきっかけになったのは、エサレン研究所などで、いろいろな技法の実践者がひとつの場所に集まって、参加者がいろいろな技法を体験して、そして体験を共有できる場があったことが大きかった、という話がありました。

これが東洋的な価値観だと、ひとつのものをずっとやってこそ身につくんであって、いろいろ試すなんて、あまり意味がない、というふうになることが多いと思います。

私はどちらの考え方もうなづくところがあるのですが、「体験を共有する」ということは、たしかに広まる原動力になるし、何より、楽しいよね、と、あらためて思いました。

(ただ、プラクティショナーとしては、やはり自分がやっている技法が一番いい、ほかの技法より優れている、と思いたい、という気持ちもやっぱりありますよね。ーーエサレン研究所でも、プラクティショナー同士は仲が悪かったりもしたそうです。でも参加者はそんなことはおかまいなしに情報交換してしまうからね。自分にとってはどうだったかという体験を。それが広い目で見ると結果的にはよかったみたいです。)

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ハルさんのワークショップでもうひとつテーマになっていたことが、「体験を言葉にする」ということでした。
体験を言葉にすると、体験をいったん止めることになるから、体験を味わった後それをやるのは抵抗があるかもしれないけど、それを、あえてやってみる、のです。

また、体験がすべて言葉に置き換わることは不可能だし、言葉に置き換える過程で、変化してしまったりする。でも、そういう言葉の性質も認めたうえで、あえてその作業をやってみる、のです。

ワークショップでは、まず体験したことについて、紙に書いてみる、それから二人組みで話す、それからさらにみんなの輪のなかで話す、と、いろいろなやり方で「言葉にする」ことをやりました。「言葉にしづらい体験を言葉にする」実験です。そしてその言葉にするという体験にどういう意味があるのかということもふくめて、探っていくのです。

なんというか、言葉の厳密性を追求したりするところじゃなく、正しいとか正しくないじゃないところで、体験と言葉の関係をさぐれた感じでした。なにかを証明したり、宣伝したりするためじゃない言葉、ですね。

そういうふうだと、言葉にすることは「共有」のためにも役に立つことだけど、自分の体験を深める役にも立つなと思いました。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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