「見る」というのは、レクサンダー・テクニークで扱うことなの?
と、思われるかもしれません。
私自身も、目のことは、アレクサンダー・テクニークの範囲外だと、昔は思っていました。
しかし、アレクサンダー・テクニーク教師になってから、アレクサンダー・テクニークのワークを発展させた「アイボディ」というワークに出会って(当時は「アイボディ」という名前はまだなかったころでした)、なるほど、と納得できたことがありました。
それは、「見る」という行為は、目だけでしているわけではない。眼球のさらに奥につながっている視神経や、その先の、頭の後ろにある、視覚野は、見るために、もっと大事なはたらきをしている、ということです。(「アイボディ」では、ほかにも、いろいろな考え方や実践法やワークがあるので、興味がある方には体験していただきたいですが、ここには書ききれないので、ここでは、私が、まず最初に納得したことだけを書いています)。
「見る」という行為は、目だけでしているわけではないということが、理屈ではなく、実感し、納得できてから、私は、デスクワークをしていて「目が疲れる」ということが、めったに起こらなくなりました。
また、人に会ったりして緊張したときも、目が疲れることがなくなりました。
緊張していても、目で頑張らなくてもよくなったのです。
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いま、オンライン会議をする人が多くなっています。
画面の向こうに人がいて、大事な話を聞いたり、自分が話したりするとき、
集中しよう、と、体を前に乗り出して、
気づかないうちに、目や、顔に力を入れて、頑張っている。
そんなことに、あとから気づいたりすること、ないでしょうか?
集中して、話に参加したい、という思いは、大事なものです。
その「思い」や、好奇心を、捨ててしまえばいい、ということを言いたいわけではありません。
「思い」を持ちつつ、好奇心を持ちつつ、向こうから入ってくる情報を、受け取る。
「見に行く」のではなく「受け取る」。
「見に行こう」とするのを、いったん、やめて、入ってくるものを受け取る、
という意図を持つと、
見に行こうとしていたとき以上に、よく見えてくる、
ということがよく起こるのが、おもしろいです。
これは、アレクサンダー・テクニークの原理にある「抑制(インヒビション)」だと思います。
「やろう」と思ったとき、すぐに飛びつかずに、一瞬、待つ。
そして、自分のなかのゆったりとした流れと一緒に、自分全部でやりたいことに向かって動いていく。
それが、インヒビション(inhibition)です。
その先には、新しい可能性がひらいています。今まで知らなかった感覚が感じられたりします。
自分のなかと、外の世界とのあいだの窓がひらいて、ここちよい風が、内側にも入り、それが自分の養分となり、またゆったりと外に出ていきます。
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ワークのなかでは、「見る」ことを探求するために、「見ない」ことを探求する時間も持ちます。
より正確に言うと、「見ない」というより、「暗闇を味わう」時間です。
暗闇を味わっているとき、目の中の網膜が活性化する
と、アイボディの先生である、ピーターが教えてくれました。
暗闇を味わう時間を持ってから、光、そしていろいろなものが見えるところに戻ると、よりはっきり見えたり、立体感を持って空間をとらえることができたりして、おもしろいです。
何より、目を休めることができます。
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「見る」「見えてくる」ことについては、さらに、
・目と、脊椎や、胴体との関係
・「五感」との関係
・呼吸や、声との関係
・自分の中心軸との関係
・奥行きについて
などなど、いろいろなテーマが関連してきます。
レッスンやワークショップのなかでは、随時、そのようないろいろなことも併せて探求していきます。
よかったら、一緒に探求しましょう。
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また、個人レッスンでこのテーマを扱うこともできます。