きのうは朝から雨降りで、海に行くような天気じゃなかったのだけど、葉山の海に行ってきました。「こんな日に海に行く人なんているかな?」「海の家もお休みでは?」と言いながら。
葉山は、山のほうには霧が深くかかっていて、ちょっと幻想的でした。
海岸に着くと、むこうの岩場のほうに人がぞろぞろ歩いているのが見えて、何だろう? とそちらに行ってみました。するとそれは自然観察にきた小学生たちでした。
先生が「ここにいわしの大群がいるぞ~!」「こっちにはしらすの大群だぞ~!」なんて言っていて、子どもたちは夢中で魚を探しています。
私は前にここに、スノーケリングに来たことがあるのです。(ひとりでは怖いので、スノーケリング教室に参加したのです。)そのときは泳げるぐらい水深が深かったのに、今日は岩肌がむき出しになっています。
新月なので引き潮が大きいのですね。
私たちは子どもたちに少し遠慮して少し離れたところで、でも岩肌を裸足で歩くのが気持ちよかったです。足元ではヤドカリ達やカニ達が、どこかに行こうとあちこち移動しようとしています。
小さい動物たちが、あまりじっとしていないのは、何か異変を感じていたのかな?
空でも、トンビなどの鳥が、上に行ったり降りてきたり、いそがしく飛んでいました。
もともと曇っていた空はさらに暗くなってきました。
小学生たちは空を見上げることもなく、魚探しに夢中です。
雲と霧が分厚かったので、太陽がどこにあるかもわからず、日食めがねを使うチャンスはありませんでしたが、でも見えなくても、何か大事なときに立ち会ったような気がしました。
相方は「昔から日食は見てはいけない、と言われているらしいことを思うと、雲と霧が隠してくれて、見えなかったのは、何かほっとしているところもある」と、言っていました。
「八王子では見えたそうですよ」と、そこで会った人が言っていました。
まだ、資料にある日食の時間は続いていましたが、私たちは海の家に移動しました。書いてある時間より早く、明るくなってきたような気がしました。
海の家で、おいしいカレーを食べて、日食の願い事をしました。
日食が終わると、心持ちあたたかくなってきました。
私は朝、天気が悪かったので水着を持ってきませんでしたが、
海にはサーフィンやボディーボードをやっている人たちがいました。
波は穏やかでした。
私もいつかサーフィンができるくらい、海に慣れ親しめればいいなあ。
少しづつでも海が怖くなくなることが、今後の人生の目標のひとつです。
—–
夕方には葉山を去って都心に出て、目白で、アレクサンダー・テクニークの仲間とひさしぶりに食事をしました。
目白は、私が東京に帰ってアレクサンダー・テクニークを教えはじめたばかりの頃、目白に学校ができて、そこの学生だった友人たちといろいろ意見をたたかわせたり、学校に手伝いに行ったり、プライベートでも食べたり飲んだりして、思い出深いところです。
今は学校もないし、仲間とよく行った韓国料理屋も火事になってなくなってしまったけど、でも、目白の空気には、なにかを思い出させられる感じです。
きのうは食事の後で、道の真ん中に立っている大きな木のところで、通行人のおじさんに頼んで、みんなで写真をとってもらいました。
—–
そういえばきのう会った人たちに、日食の前の数日間、精神的にちょっと不安定だった、と言ったら、「自分もそうだった」といった人がそこにいた半数の4人ぐらいいました。
人間もやっぱり、何か感じるのかもしれないですね。