佃島盆踊り

東京では今ごろがお盆です。
5年前から毎年、佃島というところの盆踊りに行ってるのですが、今年も行ってきました!

この盆踊りは1680年から続いている昔ながらの盆踊りだそうです。東京では、幕府の治安政策のため盆踊りが禁止されていて、この佃島の盆踊りが東京では唯一残っている昔ながらの盆踊りだそうです。

私たちが行ったら、ちょうど子どもたちが踊り終わったところで、アナウンサー役のおじさんが、「みんな、踊る前に無縁さまにはお参りしたかな? まだしてない人はお参りしといてね」と言ってました。踊りやぐらのむこうに無縁仏の祠があるのです。後できいたところによると、この盆踊りは、「盆踊りじゃなくて念仏踊り」と地元の人は言ったりしているようで、昔から水難にあった人、それから関東大震災と東京空襲の無縁仏の霊を慰めるために、毎年踊られてきたそうです。佃島は、佃島自体は震災の被害も少なくて、また空襲も受けなかったそうなのですが、震災のときも空襲のときも、むこう岸から川岸にたくさんの遺体が流されてきて、それを佃島の人がひきあげてまつっていたということです。

今日行ったら、踊りやぐらの上には男の人がひとり、太鼓を叩きながら自分で歌っていました。自分で叩く太鼓以外、伴奏はありません。歌は単純な節にあわせて、でも歌っている言葉は昔のいいまわしなのか、聞き取ることはむずかしかったです。1番から8番までぐらいはあったようです。

そのまわりを、ゆったりとしたリズムで踊っている人たちがいて、最初は、少ない人数だったのですが、つづけるうちにだんだん輪が大きくなって、最後は、残って見ている人のほうが少ないぐらいになっていました。私たちも、「邪魔になることはないですから」と言われ、参加させてもらいました。   
観せるための踊りでも、騒ぐための踊りでもない、という踊りという感じで、今の感じにはあまりない感じで、なんだかよかったです。子どもたちの時間は終わって、遊びに行ったり家に帰っている子も多いようでしたが、最後まで輪に残っている子どもたちもいました。この子たちが大人になったときもきっとこの踊りは続いているんだろうな、なんて思いました。

終わって、無縁仏のところにいったら、山ほどの野菜とくずもちとお花が捧げられていて、熱心にお参りする人の列がありました。

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とここまでは、2004年に最初に行ったときの日記からです。

今年もだいたい同じだったのですが、今年は子ども盆踊りの時間に間に合うことができました。最初はぽつりぽつりとしか子どもがいなかったのですが、あれよあれよという間にどんどん輪がふくらんで、最後には隙間もないくらい子どもたちでいっぱいになりました。ゆかたの子も多く、下駄を履いてる男の子もいます。楽しそうにおしゃべりしたり、たまにお互いつつきあったりもしながらも、基本的にみんな熱心に踊っていて、みんな踊りが好きそうです。振り付けも簡単で動きもゆっくりなので覚えやすいのもあるけど、ずっと同じことを1時間以上やっているのに飽きてる子どももいなさそうです。

「どらえもん音頭じゃこんなに盛り上がらないよー」と、相方が言ったけど、やっぱり子どもだましじゃないほうがかっこいいし、意味があることが子どもだってわかるんだろうな。

歌の合間合間に踊り手が”ヤーットセー ヨーイヤラー コラショ”と合いの手を入れるのですが、子どもたちの合いの手がそれはそれは元気でした。

子どもたちが帰った後、大人の踊りの時間になったので、私たちも踊りました。子どもたちが踊った後だったので、シャイになったりせずにすぐに踊りの輪に入ることができました。合いの手も大きな声でいれながら、踊りました。

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毎年、歌を歌ってくれるおじいさんがいるのですが、年々歌が調子っぱずれに、ちょっとへろへろになってきていて、なんだかユーモラスで、ちょっと心配です。

子ども盆踊りの時間に、太鼓は男性がやぐらの上で叩いていたのですが、歌が生じゃなくテープだったので、「えー、おじさん死んじゃったのかな?」と、相方が心配していましたが、大人の時間になったら元気に出てきてくれました。

そのテープの歌声も、同じおじさんの若いころの声でしたが、すごくいい声で、今と違ってと言ったら失礼だけど、上手い歌い手です。

おじさんの歌は味があるので大好きなんだけど、後継者育てなくて大丈夫なのかな? 踊りのほうの後継者は山ほど育っているので大丈夫だけど。

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踊りの場所は、広場ともいえない、土手の下の行き止まりのコンクリートの道の一角にやぐらを立てて、そこが踊りの場所でした。道だから長細くなっちゃうんだけど、長~い楕円というか、長四角になってみんなで踊りました。まわりは昔ながらのお家や商店がいくつかあり、狭い敷地の庭にすごく古そうな松の木が植わっていたりしました。

震災でも空襲でも焼けなかった佃島の古い町も、じわじわと再開発されていて、まわりには高層ビルもいっぱいです。だけど夕暮れ時にビルのドアの前でのんびり座って煙草吸ってるおじいさんがいたり、散歩しているお年寄りがいて、知り合いにあって挨拶をかわしていたり、なんだか人の雰囲気が昔ながらの感じなんです。

今日踊っていた子どもたちも、もしかしたら高層ビルに住んでる子どもたちも多いのかもしれない。でも街の景色は変わっても、スピリットは受け継がれるということは可能なのかもしれません。なんてことを考えました。

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