手帳をなくしてしまいました。

おとといの晩、手帳をなくしてしまいました。
ひさしぶりに整体(野口整体)の愉気の研究会に行って、そのあとのすっきりした頭で、感じのいいカフェでたまってた日記を手帳に書いて、ごきげんで帰ってくる途中、電車のなかでスケジュールチェックをしたときに見たのが最後だったから、電車のなかに置いてきてしまったのかもしれません。が、4つの鉄道会社の忘れ物センターに電話したけれど、見つからない。

手帳には、スケジュールと、日記を書いていました。
実際的には、今後のスケジュールは、いろんな人に確認をとらせていただくことで、なんとかなりそうですが(ご連絡させていただいた方、お手数をおかけしました。ご協力ありがとうございます。)、あと、生徒さんなどの連絡先などの個人情報などを持ち歩いていなかったのが救いですが、でも個人的ないろいろな記録を書いていたので、ちょっとショックです。他人にはたぶん何の価値もないものだけど、自分にとっては大事なものなので。
だれか親切な方が届けてくださるとうれしいな。
手帳にはお金を数千円、はさんでいたけれど、もし届けてくださる人がいたらお金お礼として。なんて、ここに書いてもしょうがないね。

考えてみると私はふだんからよくものをなくすほうですが、特に9月には大事なものをなくすことが、以前から多いです。9月は私の誕生日があるのですが、誕生日の前後って、そわそわする、とかいう人が多いので、もしかしたらそんなことも関係があるのでしょうか?

まあ記録がなくなっても記憶は残っているわけだし、書くという行為自体のほうが大事だったのかもしれない。大事なことは残っていると信じて、過去の記録は捨てて新たな気持ちになったほうがいいかな?

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3 thoughts on “手帳をなくしてしまいました。

  1. ゆり子さん
    私のブログにコメントありがとうございました。メイでわかりますか。
    手帳のこと残念でしたね。(まだ、出てくる可能性はあると思うけれど)
    手帳そのものもなくなって不便だろうけれど、日記兼用なら記録したいろいろな事も消えたような気持ちになるだろうし、それに突然なくなってしまったわけだから喪失感感じますよね。
    残念だなあ、といっぱい嘆いて、でも大事なものは形がなくなってもなくなるわけでない、また新しいページからスタートと切り替えていけるといいけれど。誕生日のあとなら余計そういうことかもしれないですね。
    私もいろんなものを(物だけではないかな) なくしまくりましたが、なくした直後に嘆いてがっかりした時の方が、あきらめがついて気持ちが切り替わったように思います。

  2. 手帳、大事だよね。
    ちょうど今日、ゆりこさんの手帳のこと、考えていました。
    ほぼ日手帳、いいなあ、私も次はアレにしようかなあなんて、
    手帳売り場で思い出していたんだ。
    日記って大事だけど、もしかしたら、ゆりこさんは今過去を手放すプロセスにきているという暗示かもしれないし、手帳の中のお金を誰かに寄付してあげたのかもしれない(笑)
    そういう大事なものをなくすって、普通のなくし物とは違うし、
    なんらかのメッセージがあるのかもね。
    「これ以上、そわそわしていると、もっと大事なものなくすよ!」とかね(笑)
    それと、ゆりこさんのバースデーしていないじゃないか!やろうよ。

  3. メイさん、ともこさん、メッセージありがとう!
    手帳、見つかりました!(くわしくは10月1日の欄へ)
    私は手帳ふたつ持っていて、ほぼ日手帳は、レッスンのメモが中心で、もうひとつは、よりコンパクトな、高橋書店の手帳を使ってるんだ。とても使いやすくて何年も同じ形のを使ってるんだけど。それにはスケジュールと、個人的なメモを中心に書いていて、そっちのほうを、なくしてしまったの。でも見つかりました!
    おふたりのメッセージや、メールでメッセージくださった方、とてもうれしかったです。

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