言葉だけで伝わらないもの

アレクサンダー・テクニークを体験したことがなくて、でも少し興味を持っている人に話を聞くと、どうしても、思い違いがある。正しいやり方を教えてくれるものとか、間違ったやり方を矯正するものだと思われていたり。。

それで、「なんかおもしろそうだけど、自分が受けるのには抵抗あるな」と思われている人も、なかにはいるかもしれない。

実際は、
アレクサンダー・テクニークは問題と答えが対になっているようなものではない。
問題を認識したら、それを、ひとまず置いておいて、
自分自身と、自分自身の使い方を見直す。
答えをすぐに得ようとしない。
よく見ると、見えてくることがある。
(目で見るだけでなく、身体感覚に耳を澄ますこともふくめて)
教師にできるのはそのプロセスを(ハンズオンや、言葉や、体験で)サポートすること。
答えを提示することは、できない。
参考になる情報は提示できても。

だからアレクサンダー・テクニークの教師は現代の一般的な教師像とは違うかもしれない。

ボディマッピングも同じ。体の地図を描くのは自分。
何度も描いて、描き直す。その過程で、発見がある。
そして自分自身について、かかわりについて、可能性について、認識がまた新しくなる。

アレクサンダー・テクニークについて、わかりやすく伝えられたらと思って、試行錯誤するのだけれど、言葉だけとか、映像だけとかで、本質を見失わないでわかりやすく伝えるというのは、どこまでできるのだろうか?
それに挑んできた先人の先生たちがいて(F.M.アレクサンダーさん自身も含めて)、
その恩恵を得ているわけだけど、
なかなかたいへんなことだと思う。

だから体験する現場を大切にするのは前提として、
でも文章でも伝えようとしてみたり、ときどき、ぼちぼち、模索しているのです。

でも同時に、個人的には、言葉だけで伝わらないものがあるということは、豊かなことだし、ステキなことだと思ってます。
アレクサンダー・テクニークじゃなくても、ほかにもそういうものは、いっぱいありますね。

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