「上から吊り下げられているように?」

レッスンの後、「首が上から吊り下げられているように感じます」と、言われたことがありました。

この、「上から吊り下げられているように」というフレーズは、よい姿勢についての話が出るときに、よく使われるフレーズのようですね。

でも、これには落とし穴があると、私は思います。

よい姿勢になった結果、「首が上から吊り下げられているように感じる」ということは、あると思います。
でも、それを、自分で「やろう」とすると・・・?

何か首を固めてしまわないでしょうか?

こう考えることで起こりがちなことは、首を持ち上げて固定して、首から下を押し下げてしまうことです。

首を固めているのに気づいて「あ、いけない、いけない」と、動かしてほぐしたりしている人を、見かけます。固めながら同時にほぐして、ほぐしながら同時に固めているような感じです。なかなかうまくいきませんね。

アレクサンダー的代替案は、
「首を背骨全体の一部であることを思い出し、頭はその延長にある」

という考えです。それを思ってみると、どうでしょうか?

もし難しく感じられた場合は、床の上などに仰向けになって、同じこと、つまり、

「首を背骨全体の一部であることを思い出し、頭はその延長にある」

ということを思って、そのまま少し時間を取ってみてください。
何かを「やろう」としなくていいです。
体がどういうデザインになっているか、体が思い出すための時間を取る、という感じです。
それからもう一度立ってみてください。
どうでしょうか?

とても楽かもしれないし、
あるいは、
いつも立っているときとのバランスの取り方と違って、少し不安感を感じる場合もあるかもしれません。

そのときに、早くバランスを取ろうと、また「固めるパターン」に入るのではなく、そのかわりに、子どもがはじめて立ったかのように、新しいバランスを探してみてください。

上下のひろがり、左右のひろがり、奥行きのひろがりはどうでしょうか?
それを、味わってみてください。

【もうひとこと】

レッスンのワークの後、今までの自分のパターンから抜けて、新しい経験をすると、いろいろなイメージが湧くことがありますよね。
人によってはそれが「首が上から吊り下げられているように」かもしれないし、「ふわっとした感じ」だったり、人によって、そのときどきによって、いろいろだと思います。

そういうイメージや、感じる印象に、正しいも間違いもありません。
いろいろなことを感じることは、どれもよいことだと思います。

上で私が「落とし穴」と書いたのは、
最初に感じた状態を、再現しようとするときの落とし穴、なのです。

生き生きとした、気持ちのよい体験をしたら、それを再現したくなるのは当然ですよね。

ただ、そのときの印象やイメージを覚えていて、その印象やイメージを再現しようとすると、たいがい、自分を固めてしまうことになりやすいのです。

再現したいときには、結果としての印象やイメージを再現するのではなく、どうやったらそういう結果に至ったか、どうやってそのように変化したか、そのプロセスを思い出すことが大事です。

小さなことかもしれないけれど、そのプロセスのなかで、どこかで、何か、いつもと違う「考え」を持ったり、何かについて、いつもと違う「とらえ方」をしていた、ということがないでしょうか?

そのへんに、目を向けてみましょう。

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