「リトル・ダンサー」

映画「リトル・ダンサー」(原題 “Billy Elliot” イギリス映画)を観ました。 炭坑ストの頃のイギリスの炭坑の町に住んでる、ダンスが好きな男の子ビリーのお話です。「ダンスをしたい」っていう、すごい単純な欲求っていうのに、どうやって忠実でいられるかっていうことが、気持ち良く描かれてはげまされました。同時に、ダンスをしたいなんて、ふつう男の子が(とくに炭坑の町では)あんまり思わないようなことを思っちゃうような人っていうのも、やっぱりそこの社会に必要なんだ、ってことを、映画は言ってる気がしました。ひとりの男の子が「踊りたい!」という純粋な夢を、まわりの人たちといろいろに関係を持ちながら少しづつ実現させていく。最初は、本人もまわりの人たちも、「無理だよ。男の子がダンスなんて。」と信じているんだけどね。で、ビリーが夢をだんだん実現させていく過程のなかで、ビリーの家族や友達など、まわりの人も少しづつ変わっていく。

ビリーのクラスメートで、女装が好きで男の子が好きなゲイ(トランスジェンダー?)の男の子(マイケル)がいるんだけど、彼とビリーとのやりとりのなかで、ビリーが「ぼくはダンスが好きだからと言ってホモじゃないんだ」とかいいつつも、無言で、社会の多数派とはちがった生き方を求めているマイケルを励ましている(マイケルもビリーを応援してる)。励ましあうのに同じ夢を持っている必要はなくて、同じ考えを持ってる必要もなくて、一人ひとりが社会のなかで、その人のものでしかないその人の夢を、お互いと、社会とかかわりを持ちながら、それぞれが実現させようとすることによって、社会がほんの少しづつ変わっていく、そういう過程が大事にできたらいいな、と、そんなことについて私は考えました。

私がアレクサンダー・テクニークが好きなのも、アレクサンダー・テクニークを使って、その人個人から出てくるものを大切にすることを学べて、なおかつ、それが個人のなかだけで完結しちゃうわけじゃない、というところです。自分から出てくるものを大切にすることと、まわりから来る刺激にどう応えていくか、ということが、切り離されることはできない、そういうことに気づけるところが好きです。社会とどう関わりながら、どう自分を生きていくか、ということにとても関わることだと思います。

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