「『やりすぎていることを少なくしていかないといけない』という考えに、ずっと抵抗があったんです」。
と言われた生徒さんがいました。
まだまだ、やらなきゃ、と思う気持ちをおさえられないと。
お話を聞いていて思ったのですが、
今まで私がアレクサンダー・テクニークの説明のなかでよく言っていた「やりすぎを、やめていく」という言葉では、伝えきれていないことがあったのかもしれません。
言葉にしてそれを伝えてくださったその方に限らず、そこらへんのところに抵抗を感じていらっしゃった人は、もしかすると少なくないのかも、と、思い至りました。
アレクサンダー・テクニークで言う
「やりすぎを、やめていく」というのは、断捨離とは違います。
(断捨離について誤解があったらごめんなさい。その場合はご教授願います)。
今まで大事にしてきたものごとへのこだわりを手放さないといけない、わけではない。
今まで大事にしてきたことを、やり続けてかまわない。
練習が必要なら、練習し続けてかまわない。
ただ、練習するときの「自分の使い方の質」を見直すと、
同じことをやるのに、より少ない力でできる場合がある、ということなのです。
たとえば、立ってトランペットを吹く人が、
ただ「立つ」というときに、脚の力ですごく踏ん張っていた、
それが日常なので普通だと思っていたけれど、
踏ん張らないでも立っていられることに気づければ、
余力が生まれる。
トランペットを持ちあげて口まで持っていくときに、
その「楽器をかまえるまでの動作」で、必要以上に力を使っているということもあるかもしれない。
かまえるまでの動きを、より少ない力でできれば、その後、吹くときに余力が生まれる。
そこに余力が生まれることで、大きい音や小さい音、高い音や低い音がもっと出しやすくなったり、より表現豊かに吹いたりできるようになる。
そして身体に余裕があれば、緊張するような場面になっても、適切に対応することができるようになる。
自分の緊張を感じながらでも、緊張をアドレナリンとして使って、演奏ができるようになる。
そんなようなことを、アレクサンダー・テクニークのレッスンではやっています。
からだのデザインにそって効率的に、自分の体を使うということ。
それによってもっと余力が生まれ、新しい状況にもっと適応できるようになる。
「効率的」という言葉もまた、難しい言葉かもしれません。
言いたいのは、単に無駄を省くということでもない。
何が無駄かということは、そのとき、その人の状況によるし、
一見、無駄に見えることが大事な意味を持っていることもある。
本人が感じて、自分が、そのあり方を今、選びたいかどうか…そこがポイントです。
何かをやっている(doing)とき、自分がどのようなあり方(being)でいるか、それを知るということが出発点です。
思いっきり力を使うことが、やりたいことなのだったら、それは、もちろんかまわない。
でも、力を使うことが(たとえば筋力に頼りすぎることが)、逆にやりたいことをやるためのブレーキになっている場合もある。そこを見極めるということです。
アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでは、東京と神奈川で週3日づつ個人レッスンを行っています。お気軽にお問い合わせください。 レッスン・スケジュールとお申し込みはこちらです。 |