2001年6月末、アメリカ合衆国ボストン近郊ケンブリッジの、トミー・トンプソン(Tommy Thompson)のアレクサンダー・テクニーク教師トレーニングコース (Alexander Technique Center at Cambridge) を訪ねた。トレーニングコースの授業に3日間参加して、週末のOpen Dayワークショップに参加した。トレーニングコースは生徒6人プラス、ビジターが私ともう一人だった。フランス人、スイス人、アイルランド人、ドイツ人と、残りの3人がアメリカ人-アメリカ人でない人の方が多いのがおもしろかった。先生のトミーは、「いろんなアクセントの英語がかわされているから、僕はもうわからないよ」と笑いながら、生徒の言うことをよく聞き返していた。みんなが異邦人みたいなところで、私にとっては居心地がよかった。
▼「アレクサンダー・テクニークは、あなたがあなたであることを助ける」
トミーは
「アレクサンダー・テクニークは、あなたがあなたであることを助ける」
「自分自身であるということは、ワークする前も後も変わらない。表現のしかたが少し変わるだけ」
と、最初に言った。
またトミーは、
「アレクサンダー・テクニークは、あなたがあなたの経験を経験することを助ける。経験から離れてしまうことではない」
と言った。
トレーニーは、全員がまだトレーニングを始めて1年未満だったが、お互いにチェアワークやライダウンワークをし合っていた。お互いに手を触れてワークして、フィードバックをしあうことによって学んでいっているようだった。そこにトミーが回ってサポートしてくれる。トミーが回ってきてくれたときに私は、「手を触れてワークするときに、先生は何を考えているんですか?」と尋ねた。トミーの答えは、 “I am listening.” だった。「私は私に反応しているあなたに耳を傾けている(”I am listening to you responding to me”)」と。「そして必要があれば情報を提供して、またそれに反応しているあなたに耳を傾けているんだよ」と言いながらワークしてくれた。先生が一方的に情報を与えるというのではなかった。
▼「必要があれば、首が楽に・・・」
トミーは、アレクサンダー・テクニークのレッスンで一般的によく言う「首が楽で頭が動いて~」または「頭が前に上に」というようなことを、あまり言わなかった。
ワークショップのときに、参加者のひとりが、1週間前に身近な人を亡くしたと言っていて、「そのことについて話す」のをワークしたいと言った。話し終わった後、彼女はより生き生きとしていた。ワークが終わってしばらくの沈黙の後、トミーは言った。「こういう状況では、人は体を固くする必要があるんだ。こういうときに『首を楽に』、とガイドしても、首を楽になんかしたくない。それよりも、この状況をちゃんと自分の経験として経験する必要が、まずあったんだ。だから僕はただそれをサポートした。ちゃんと経験したら、彼女のシステムは自然にそこから動きはじめていったよね」。
一方、私が足首を捻挫して、うまく歩けない、というのをワークしてもらったときは、まさに頭と首と胴体の関係性にワークしてくれた。うまく動かない足首ばかりに、私の注意が集まりすぎていたのが、ほんとはもっと全体として情報を受け取れるようになることが必要だったのだ。ワークショップでは「必要があれば、首が楽に、頭が前に上に、背中が広く、という状態になることができる、そのことに慣れておくために」みんなでセミスパインのワークをやった。
日本でアレクサンダー・テクニークの仲間と話していて、「よく アレクサンダー・テクニークでは『不必要な緊張』って言うけど、不必要な緊張なんて、あるんだろうか?人は必要があって緊張してるんじゃないの?」という話題になることがあった。そこのところが、私にとっては、クリアじゃなかった。トミーの教え方は、そこらへんの私の疑問を考えるための、ひとつの種になった。
「あなたが今まで積み重ねてきた、統合(integrity)をさえぎっている緊張パターンに耳を傾ける・・・緊張パターンを取り除くんじゃない。それに耳を傾け、認識したら、情報を今までと少し違うように取り入れることができるようになり、パターンはおのずと変わっていく」と トミーは言っていた。
▼Teachers’ Meeting
卒業生や近くに住む Teacherの、お互いにワークしあう会にも参加させてもらった。いろんなバックグラウンドを持つ人たちとワークできて楽しかった。ワークのしかたは、少しづつそれぞれ違うけど、お互いに尊重しあっている雰囲気があって、私も尊重されてる感じがして、ほんとに楽しくワークできた。