私にとっては、たまに人前で歌うということを自分に許せるようになったのは、アレクサンダー・テクニークとの出会いが大きかった。
歌は子どものころから好きだったし、合唱などは機会があればしていたけれど、ひとりで人前で歌うのは、まず「声が小さい」「聞こえない」と言われること、それに、そもそも「人前に立つ」こと自体が、私にはとても難しいことだった。
でも合唱でなくて、ひとりで、(あるいはひとりづつ違うパートで数人というのも好き)歌うことが、したかったのだ。
大学のときにブルーハーツという人たちを知って、あこがれたなあ。あんな風に歌えたらと。
でも、どうしたって、キャラが違って、あんなふうにはなれなかった。
自分じゃないものになろうとしても、よけいに緊張するばかりだった。
まず自分のあり方、自分の声、自分の体、自分のキャラクター、そういうものを認めて、そこから歌う、ということが、できるようになる必要があった。
それは、技術じゃない何かだった。
「声が小さい」のは、緊張とのつきあい方がわかってきたことと、体のなかのつながり、全体性についてが、わかってきたおかげで、昔よりもましになったけど、いまも声量があるとはけして言えない。だけど声量の”量”はなくても、自分の内と外で共鳴するものを届けることができるということを知った。
うん、やっぱり、もっと歌いたいな!
自分のままで。