アレクサンダー・テクニークlittlesoundsの石井ゆりこです。
蒸し暑い日々ですが、みなさんお元気でお過ごしでしょうか?
休めるときは休んで、動けるときは動いて、
うまく波乗りして生きていきましょう。
アレクサンダー・テクニークが、自分らしくのびのびと機嫌よく生活していける一助になればうれしく思います。
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◇ 8月のアレクサンダー・テクニーク・オンラインワークショップ
(一部日程変更あり)
◇ 「見る、見られる、見えてくる」
◇ 個人レッスン・ペアレッスン
◇ 「体」だけで動くわけではなくて「心」が動かしているーー成瀬悟策先生の言葉
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■8月のアレクサンダー・テクニーク・オンラインワークショップ
8/6(土)13:30~15:00 ”話す、聞く、伝わりあう”
8/11(木祝)13:30~15:00 ”首をラクに、あごをゆるめる”
8/23(火)19:30~21:00 ”力を抜くことと、自分全部でものごとに取り組むこと”
当初7/30に予定していた「力を抜くことと、自分全部でものごとに取り組むこと」を、8/23の夜に行うことにしました。
それぞれのテーマを入り口にして、おひとりおひとりの今の状況にアレクサンダー・テクニークをどう活かせるか、ご一緒に探求しましょう。
単発でも、続けてでも、みなさんのご参加をお待ちしています。
はじめての方も、継続している方も、どなたも歓迎です。
よろしかったらお誘いあわせのうえ、いらしてください。
詳細、お申し込みはこちら
■「見る、見られる、見えてくる」
見るというのは、眼球だけで行っているのではなく、眼球を通して入ってきた光や情報が、頭の後ろの脳まで届いている。
脳で、見えているものを受け取っている。それが見るということ。
だから、見るために、目でがんばる必要はないのです。
むしろ、がんばらないでいるほうが、よく見えてきたりします。
それをふまえて、見ることについてのやりすぎを手放し、
見る機能を自分で邪魔しないことを意図して、
どう変わるか、
先週のワークショップ「見る、見られる、見えてくる」では、そんなところから探求しました。
この回には、楽器を演奏されている方々が集まったので、
上記の探求のあと、演奏をして、演奏の変化を楽しみました。
見るというのは、今ここに自分がいる環境からの情報を受け取るということ。
そして、演奏表現などにおいては、表現したい世界観を視覚化するということにもつながります。
それも、視覚野のしごとなので、頭の後ろを意識してみると、おもしろいです
絵を描くとき、文章を書くとき、話をするときなども同じように…。
からだにそなわっている視覚機能は、いろいろなときにはたらいています。
このテーマも、個人レッスンでも扱っています。
興味がありましたらお知らせください。
個人レッスンのスケジュールはこちら
■ 個人レッスン、ペアレッスンなど
「こうであるべき」というのが、どんどん増えて、窮屈になってしまうこと、ありませんか?
アレクサンダー・テクニークのレッスンでは、そのような「こうであるべき」を、ほどいていく手助けをしています。
自分のからだや、自分の感覚や、自分のやり方を見つけやすくなる
そのための援助をしています。
アレクサンダー・テクニークで起こる変化は、ときに繊細で、言語化しにくいことも多くあります。
それはアレクサンダー・テクニークが、何かを足していくのではなく、引いていく=やりすぎていたことを手放していくことだからかもしれません。
加えていくときと違って、手放していくときは、心もとないような、ちょっと不安な感覚になることもありますね。
でも、大丈夫。
余分なものがなくなると、その人の核になっているエッセンスが、よりはっきりとしてきて、生き生きとしたその人らしい活力が出てきます。
親子、ご夫婦、友人などのペアレッスンも行っております。
夏休みにお子さんといらっしゃること、歓迎です!
今のところ、お盆も基本的に休まず行う予定ですが、ご予約が少ない場合は変更の可能性があります。
よろしかったらお早めにご連絡いただけたら幸いです。
オンライン個人レッスンも行っております。
スケジュールその他については下記のリンク先をご覧いただくか、
メールでお問合せください。
■「体」だけで動くわけではなくて「心」が動かしているー成瀬悟策先生の言葉
「動作療法」というのを開発した心理療法家、成瀬悟策先生と、同じく心理療法家の神田橋條治先生(私は近年、神田橋先生が大好きで、著書を追っかけているのです)の、対談を読みました。
成瀬:「心」というのは、「体」が生み出して、「体」が育ててきたものだと思うんですよ。今までは、その「心」を、何かこう「心」のレベルだけで治療したり、援助したりしようとしてきたと思うんですよね。
「心」だけというのは、人間の場合にはあり得ないわけですね。「体」があって、しかも、そこから育ってきた「言葉」なり「意識」なりで、いわゆる「心」というのは、そこから出たのだから。
不調を調整するときに、いつも「心」と「体」との、何かいい塩梅の調整が……どう言いましょうかね、まあ、調和的に一体的活動ができるようになってくるにつれて「心」は変わってくる、と。だから「体」が変わるというときはーーもっとはっきり言えば、「体」だけで動くわけではなくて「心」が動かしているのですからーーそれは「動作」の変化なのですね。
「動作」の仕方が変わってくるというのは、「体」も変わるけれども「心」も変わってくるのだということです。
神田橋:本当にそう思います。さっきから先生が表現するのに困っているのは、「動作」というのは、「体」でもないし「心」でもないからですよね。その不可分の…。
成瀬:そうそう。
神田橋:「心身一如」というけれども、実態はないじゃないか、と言うけど…
成瀬:ところが実際には、これぐらいはっきりしたものはないのです。
神田橋:そこのところで、「一如」というただの言葉のスローガンでないようにするための方法として、「動作」という言葉を用いればいいだろうと…。
成瀬:うん、そうなんですね。
神田橋:だから、ボクは先生のファンなんだな。
成瀬:具体的には、やっぱり動くとか、動かすとかいうことですね。「動く」と言うと、簡単な運動みたいに思われるんですけれども、「心」が動いているときも「体」は緊張したり動いたりしているわけですよ。生きているのだから、物を考えたり、見たり、感じたり、何かこう大きく体を動かしたりするのは、みんな引っくるめて「動作」と言うのです。
ーー神田橋條治対談集『どこへ行こうか、心理療法』(創元社)より
この成瀬先生の言葉を読んで、私がアレクサンダー・テクニークのレッスンで「動き」というのを大事にしていることの意味を、言葉にしてくれているようだな、などと思ってしまいました。
人間について、生きているということについて探求しているさまざまな先達の方々が試行錯誤してきた言葉に触れるのは、勉強になるし、励みになりますね。
■このメールは、今まで石井ゆりこのアレクサンダー・テクニークのレッスン・ワークショップに来られた方、お問い合わせされた方と、メルマガにご登録してくださった方などにお送りさせていただいています。
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石井ゆりこ
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