ボストンのアレクサンダー・テクニーク教師デビ・アダムス(Debi Adams)さんの来日レポートの続きです。
今回、デビさんは来日する前、「『サポート』と『重力』をテーマにワークショップをやりたい」と言っていたのです。
でも、それを聞いて私は、「うーん、私には、あまりぴんとこないテーマですね。それより『インヒビション(抑制)』と『方向性』といった、アレクサンダー・テクニークの原理を、デビなりに紹介してもらえませんか?」と、独断と偏見でそんなふうにお願いしたのでした。
でも、デビのなかで、『インヒビション(抑制)』『方向性』『サポート』『重力』は、みなつながりがあるとのことで、サポートと重力の話もたくさん出てきました。
(ただデビは、「私は『方向性』のことはあまり言わない。『方向性』は、インヒビション(抑制)の結果として出てくるものだと考えているから」と言っていました。私もそれには同意です。)
それらの一連の話にかかせないのが、『テンセグリティ』の話。
『テンセグリティ(tensegrity)』とは、tense(張力/緊張)と、 integrity (統合)を掛け合わせた言葉で、建築の分野で使われたり、またボディワークのなかでからだのなかの筋膜(筋肉同士をつなぎあわせている筋の膜)にとくに働きかける、ロルフィング(Rolfing)のワーカーが最近はよく使ったりしているようです。
人間の体は、積み木を積み上げるように、縦方向の力によってだけで直立しているわけではない。
縦、横、斜め、あらゆる方向への張力の動きが統合されて、立つということが起こっている。
なので、人間は真っすぐに直立していないといけないわけではないし、体のどこかが、たとえば斜め方向に動いたら、それに合うような動きが、体のほかの部分で動くように、できている。
それで重力の話。
私が思っていたのは、「重力」というと、日本語では「重」という漢字を使うせいもあってか、ずっしりと重く、下向きに力が働いているようなイメージがあって、重力を感じようとして、足で踏んばったりしている人も少なくないということです。
いや、別に漢字のせいではなくて、積み木を積み上げるような構造のイメージに、自分をあてはめると、重さのイメージが強くなるのかもしれません。
もちろん重力は下向き=地球の中心の方向に働いていますが、それを感じるために、自分を重くする必要はない。
むしろ重力があるから、人は軽やかに存在できる、と言える。
重力が人を地面に引きつけて、支えてくれるから、人は自分で自分を支えなくてよく、自由にいろんな動きをすることができる。
人間はテンセグリティ構造なので、重力にサポートされて、動けるようにできている。
あらためて、「重力」も「サポート」も、軽やかなイメージが出てきたな、と、個人的には思いました。
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「『重力』と『丹田を使う』ことって関係があるんでしょうか?」
と、デビのあと、私のレッスンのなかで生徒さんに質問されましたが、あまり関係ないと思います。
丹田を使うことも、大事なことだと思いますが、それはまた別の話。
丹田は、体のなかにあるもので、重力は、体の外にあるものですしね。
重力のことも、自分と環境との関係性なんですね。
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ワークでは、バランス・ディスクという、中に空気が入ったプラスチックの円盤に空気が入ったものに立つこともしました。
動く地面の上に立とうとするとき、人はどんなふうにバランスを取ろうとするか。
バランスを取ろうとする動きは、自然に起こる。
人によってバランス感覚は違いますが、
バランスを取ろうとすることによって、バランス感覚が活性化されてくる。
そしてそのとき、アレクサンダー・テクニークの原理、プライマリー・コントロールも働いている。
自分を固める癖などをやめることも、自然に起こってくる。(固めていては、バランスが取れないので)。
そしてそこから平らな地面に降りた後、自分のなかで何かが変わっている。
デビ・アダムスさんのワークが終わって-1 ”reference point” は、こちら