ATI Annual General Meeting
The Story That We Share Recognizing and Celebrating the Diversity of our Teaching
分かち合う物語 – 教え方の多様性に気づき、それを祝おう
(2001年10月21日~25日 Spanish Point, Ireland)
私が所属しているアレクサンダー・テクニークの組織ATIのAnnual General Meeting(AGM)がアイルランド西海岸で行われ、それに参加した。予想していた以上に楽しく内容の濃い5日間だった。私の英語力で大丈夫かしら、とか、教師としても賭け出しの今行って意味があるかな?などと不安もあったのだけど、そういうことを超えた収穫があった。
何よりも収穫だったのは ATIに集まっている人たちがつくる雰囲気の中にいたことだった。エリザベス・ウォーカー(Elizabeth Walker)をはじめとする経験のある先生たち、中堅の先生たち、私のような教え始めて間もない人、そしてトレーニング中の人たちと、さまざまな立場の人たちが来ていたのだけど、雰囲気のなかに上下関係がなかった。経験のたくさんある先生たちも誰も偉そうにしていなくて、まるで、はじめて出会うものに出会っているかのようにアレクサンダー・テクニークを学び/教えることに意欲を持っている様子だった。そのなかで私は質問したり、意見を言ったり、ワークを交換させてもらったりということを、恐れや気負いなくなくできたことがうれしかった。なんというか、経験の差によって技量等の差はもちろんあるけど、学ぶ者として私は10年、20年教えている先生とも同じ立場なんだ、と思えた。
エリザベス・ウォーカーとピーター・リボー(Peter Rebeaux)が休み時間にワークの交換をしていた。 エリザベスは「60年間教えてきてまだ新しいことを学べるなんて、なんてすばらしいことなのかしら!」と、本当にうれしそうに言っていた。ピーターもそれに答えて、「40年間(?)教えてきてまだ新しいことを学べるなんて!」と返していた。
毎日、午前にビジネスミーティングがあり、その後、異なったリーダーによる、あわせて10ほどのワークショップが行われる。夜は生演奏の音楽を聴いたり、アイリッシュ ・ダンスを習ったり、ストーリー・テリングの時間などが持たれる。忙しいスケジュールだった!
▼Business Meeting
ビジネスミーティングでは、ATIの倫理規定を見直したり、決めるべきことを決めたりする。これが、意外にもとても楽しかった。ローザルイザ(Rosa Luisa Rossi)が「私がビジネスミーティングに参加するのは、2番目の理由が『それが必要だから』で、第1の理由は『楽しいから』なのです」と言っていたけど私も同意見です。それなのに何回か欠席してしまって後悔した。
このビジネスミーティングはキャサリン・ケトリック(Catherine Ketrick)と彼女のパートナーのデビッド・ミルズ(David Mills)がファシリテートした。3日間かけて4回に分けて開かれる。1日めにみんなが同意していることを明らかにし、2日めに問題提起をし、その日の午後に問題提起の内容を明らかにし、3日めに問題解決に向けて話し合い、結論/合意に向かう…という流れだった。すぐに結論を急がない”means whereby”のやり方が、エキサイティングだった。
ビジネスミーティングでは司会者、書記、時間係、遅刻した人を案内する係!など、係が決まっている。Peace Makerという係もあった。 ピースメーカーは、議論がエキサイトして人々の話し方が攻撃的になってきたときに「沈黙しましょう」と言う係なのです。その合図でその場のみんなが一瞬沈黙する。キャシー・マデン(Cathy Madden)がその役をやった。(実際には1、2回しか出番はなかったけれど)。
▼Workshops
今回のハイライトのひとつであったエリザベス・ウォーカーのワークショップは、天気のよい昼間に海をバックに行われた。86歳のエリザベスはF.M.アレクサンダーから直接トレーニングを受けた数少ない生き残りのひとりだが、彼女はとても当たり前の言葉を使って当たり前にワークした。私は椅子の背に手を置くところをワークしてもらったのだけど、あまりにも当たり前な感じだった、としか言えない。。でもあえて言葉にすれば、自分の癖やら何やらじゃなくて、自分の内にある力とか、可能性の方を、ほんとにはっきり見てくれていたんだと思う。それは私 が自分で信じていたものよりも、ずっと大きなものだった!?実際にワークを受けたのは数分だったけれど、貴重な当たり前さを体験できて、楽しかった。
ルシア・ウォーカー(Lucia Walker)のワークショップでは二人組になって動くことを使ったワークをした。
「自分の反応に意識的 (conscious)になるということに、今私はとても興味があります。私にとっては Inhibition(抑制)というのは意識的になるということとほとんど同じ意味かもしれない。意識的になれば、物事はもっと自分にとって習慣的や機械的なものでなく、選んだものになっていくと思う。そしてもっと自分の反応を楽しめるようになっていくと思うのです」
とルシアは言った。すごく私が今学びたいことと重なっていた。そういうことを、実際動くことのなかで経験してみられる彼女のワークはとても好きでした。
一連のワークショップの最後は、デビッド・ミルズの、”Go to I Do Not Know Where, and Bring Back I Do Not Know What(どこだかわからないところへ行き、何だかわからないものを持って帰る)”という不思議なタイトルのものだった。アレクサンダー・テクニークで Directionを考えるときに、ひとつの型にあてはめようとしてしまう落とし穴に陥りがちだけれど、そうではなくその人が生きていこうとする「物語」に対して開いていくのはどうだろう、ということについて具体的に話された。このテーマはみんなが考えたいことだったようで、終わった後もそのことについて熱心に話している輪があちこちに残った。私の問題意識ともとても重なる感じだったのに、このときは英語が十分にわからなくて悔しかった。
▼Forums
”Teaching Forum-教え方の多様性を探求する”は、ローザ・ルイザが用意してきた、F.M.Alexanderの著作からとられた、アレクサンダー・テクニークの原理が書かれたたくさんの大きなカードを囲んではじまった。3人の異なる教師の教え方に、それらの要素が備わっているかどうか観てみよう、ということだった。教え方において、何が異なっていて何が共通するかというテーマは、短時間で扱うにはとても大きなテーマだったが、私たちみんなの関心をひいた。ミーティングに集まった教師たちはさまざまなバックグラウンドを持ち、教え方のスタイルも少しづつ異なっていたが、その場には、違うやり方を否定するのではなく、そこからお互いに何を学べるかを探そうとする雰囲気が、フォーラムの時間内だけでなくミーティング全体を通してあった。そう、今年のミーティングのテーマは、「多様性に気づき、それを祝おう」というものなのだ。
“Language Panel”(英語が母国語でない人がアレクサンダー・テクニークを学ぶことについて)が開かれたのも意味深かった。私を含めてアレクサンダー・テクニークを学んでいる人々の母国語は、今やもちろん英語だけではない。ローザ・ルイザらドイツ語圏の人たちや、スロバキアのトレーニング生たちなどが来ていて、ただ英語文化中心の話し合いに合わせるだけでなく、自分たちの立っている場所から発信し続けているのには、立ち合っていてわくわくした。
ここでは、通訳を介してのレッスンを実際にやってみて、教師、生徒、観察者がどんな経験をしたか意見交換するということもやった。私はこのとき教師役をした(片桐ユズルさんが通訳をした)こともあって、通訳を介したレッスンに何が必要かについて、アレクサンダー・テクニークのレッスンにおける言葉の役割について、多くのことを考えさせられた。このとき生徒役をしてくれたジム・フローリッシュ(Jim Froelich)は「2つのステレオから違う音楽を同時に聴いているようだよ!」と、少し混乱していた。
ランゲージパネルでもう一つ興味深かったのは手話という要素だった。キャサリン・ケトリック(Catherine Ketrick)が手話で話し、手話でアレクサンダー・テクニークを教えるときのことについて話してくれた。
AGMは、日本語を話す、教え始めたてのアレクサンダー・テクニーク教師として私が今いる場所を確認するために、とても助けになった。日本に育って日本語を話し、日本でアレクサンダー・テクニークのトレーニングを受けたということは アレクサンダー・テクニークを学ぶことにとって必ずしもハンディなだけじゃなくて、とても意味があることかもしれない。それを大切にしたいという気持ちになったのは、違いを超えてお互いから何かを受け取り合うことで、アレクサンダー・テクニークに対する理解をもっと深めたい、豊かなものに、意味あるものにしていきたい、という願いがその場に集まっていたからかな、と思う。
それにしても疲れた。最後の日の朝起きて、お茶を飲んでいると、キャサリン ・ケトリックが起きてきたので(私はキャサリン達一家と一緒のコテージに泊まっていたのだ)「あなたはすごい大変な仕事(Business Meetingの司会などのこと)をやったから、とても疲れたでしょう」と聞いた。
「うん、そうね。でもね、私があの仕事をやっていなかったとしても、やっぱりとても疲れていたと思う。なんといってもすごくたくさんのことが起こっていたからね」とキャサリンは答えた。私はなんとなくほっとした。英語が堪能な、クールでタフなキャサリンでもとても疲れるほどの日々だったんだ。私がくたくたになるのも当たり前なんだなと思った。
それでも来てよかったと思った。
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