セミナー:『うつ』を学ぶ、『うつ』から学ぶ
あけましておめでとうございます
「教師」という立場

「教師」という立場

このブログは直接的にアレクサンダー・テクニックについて書くということとは、少し違う方向、でもアレクサンダー・テクニックとつながりはある方向、に展開していっています。
ひとりよがりでなければいいのですが。。
よろしければもう少しつきあってください。

きのう、私にとってアレクサンダー・テクニックを教えてる意味について、
次のようなことを書きました。

誰が何をいおうと、どんな情報があろうと、自分の身体を自分で信頼できる人、
自分の感受性を自分で信じられる人、自分で考えて自分で行動できる、
そんな個性的な大人に、みんながそれぞれなれれば、世の中もっと楽しくなる。

そういう人を育てる教師になるために、考えないといけないなぁと思うのが、
「教師」っていう立場についてです。

「教師」っていう立場は、私が好むと好まざるとにかかわらず、
「生徒」という立場からみて「上」に立ってしまう、ということです。

私なんかはそんなカンロクがあるタイプでもないし、声も大きくないし、
しゃべるのも下手だし、
ワークショップのオープニングではいまだにいつもオロオロしてしまうし、
どっちにしてもそんな「上」に立てるタイプじゃないし、、
と、思ってしまうことも多いのですが、
そんなことに関係なく「教師」として人に接する以上、
「上」に立ってしまうのです。

たとえば教師であるときの私が言うことは、
ほんとはそうじゃないかもしれなくても、正しいことに聞こえたり、とか、
ほかにもいろいろあると思います。

私がもう一つ学んでいるプロセスワークというのがあるのですが、
そのなかでの考え方で、教えるということを考えるときに大変役に立った考え方があります。
プロセスワークでは、そうやって立場によってできてしまう上下関係のことを、
「ランク」といいます。
(逆には生徒の立場は生徒の立場の「強み」があるから、
教師と生徒の両方に、お互いにランクがある、なんて言います。)

そして、
大事なことは、ランクをなくそうとすることではない
ランクは、なくならない
大事なことは、ランクがあるってことを、自覚することだ

と、言います。

このアイデアを聞いたときには、ほんとに、目からうろこでした。

それまでは私は、
「そんな『上』に立つのなんて私はキライだから、
私はそういうタイプの先生にはならないよ」
という態度だったのです。
でもそうすると、自分では自覚なしに上に立っていて、
自分では自覚なしに人になにかを押し付けているタチの悪い人になりやすいんですよね。
そして、そのことによって相手(この場合では生徒さん)が悩んでいても、
「それは、その人の問題だ」という結論にしてしまったりしてしまうのです。

それぐらいなら、自覚的にしっかり「上」に立って、
(別にえらそうにする必要があるという意味ではなくて)
その立場としてどうやって自分と相手を尊重して、信頼できる関係をつくれるか
ということを考えたほうがいい
ということです。

そういうことによってこそ、「教師」も「生徒」も、お互い成長できて、
冒頭に書いたような

誰が何をいおうと、どんな情報があろうと、自分の身体を自分で信頼できる人、
自分の感受性を自分で信じられる人、自分で考えて自分で行動できる、
そんな個性的な大人

に、みんなでなっていけるようになる、と、思っています。

たいへん難しいことですが、
このことについては考えつづけていきたいと思っています。

追伸)
プロセスワーク関係者の方、これを見ていたら、「ランク」について補足とか、
参考本の紹介とか、していただければ、たいへんうれしいかも?

また「セルフラーニング研究所」の平井雷太さんの考え方にも、
たいへん参考になり考えさせられるものがあります。

本の玉手箱
「新・子育て廃業宣言」
セルフラーニングシステム」とは、一言で言うと”教えない教育”である。

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