アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてきました。
プロセスワークのワークショップに参加しました。

プロセスワークのワークショップに参加しました。

週末、プロセスワークの「関係性」(人間関係)についてのワークショップに参加しました。
http://dreamingli.exblog.jp/

いろんな意味でとってもおもしろかったです。内容もとてもよかったんだけど、参加者が20代~50代で男女半々、それぞれとても個性的で、それが一番おもしろかったな。何度も大笑いしました。わはは

はじめ講義が少しあって、それから体験的に学ぶ。講義の途中でも、自由に質問したり、自分の体験を話したりできる雰囲気がよかったです。それはたぶんファシリテーターの亜矢子さんが、自分の体験から例を話してくれたり、自分のそのときそのときの気分を話してくれたりするところから来てる感じがしました。

私もそういうファシリテーターになりたいな。
何かの役にはまってしまって、そこから話すだけになっちゃうと、伝わらないし、自分自身もつまらなくなってしまう。

ワークショップのなかでも、「自分が何を感じているかを知る」ということが関係性においてはとても大事だという話が強調されてた気がします。それが、実はすごく難しいことなんですよね、って。
でもそうすることによって、相手の立場にもなれるし、自分と相手の関係を俯瞰して見ることもできるようになる。

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ダイアログ・イン・ザ・ダーク(2)

ダイアログ・イン・ザ・ダーク(2)

今日こそダイアログ・イン・ザ・ダークhttp://www.dialoginthedark.com/
に行ってきました。

携帯と腕時計を、光るかもしれないからとロッカーに預け、
白い杖を渡され、暗幕の中に入り、
案内をしてくださる視覚障害者のMさんを紹介されました。
まだ小さい明かりがついていて、真っ暗ではありません。
もう一枚の暗幕をあけて、そのなかに入ると、
ほんとに真っ暗になりました。何も見えません。
すごく天井が低いような気がして上に手を伸ばしてみましたが、
手は届きません。
「怖い」と言っている人もいましたが、私は何か楽しくなってきました。

目がとても楽です。
いつも、無意識に何かを見よう認識しようとがんばっているんだなあと思いました。

7人で一緒に進んでいくんですが、私はなるべく一人で歩いてみたいなと、
ちょっとだけ離れてみたりしていました。
でも、あまり離れると、案内人のMさんが、
「まだついてきていない人がいらっしゃるみたいですね。大丈夫ですか?」
などと言ってくださるので、少しだけです。
目が見えなくて、触れることもそんなにはないのに、気配と音だけで7人が近くにいるかいないかがわかるのでしょうか? すごい。。。

いろいろに違う感触の地面を歩いたり、
いろいろな物を触ったり、
「電車の駅」に来てみたり、
バーでワインを飲んだり。。。

ワイン、とてもおいしかったです。
いつもよりなんだか味わって飲めた気がしました。

そして、7人の人にそれぞれリクエストにあわせてソフトドリンクだったりビールだったり、違うものをちゃんと席まで持ってきてスマートに注いでくださるのが、
やっぱり、すごい。。。

——-

アレクサンダーのワークショップでもときどき、
目をつぶって、人に案内してもらう、という遊びをやることがあるのですが、
(私自身、とても好きな遊びなのですが)
完全に何も見えない空間というのは、目が見える者にとっては普段はないものなので、
とっても新鮮でした。
もう少し、あそこで遊びたかったなあ。

目の疲れも、なんだかだいぶとれた気がします。

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手帳みつかりました!
手帳をなくしてしまいました。

手帳をなくしてしまいました。

おとといの晩、手帳をなくしてしまいました。
ひさしぶりに整体(野口整体)の愉気の研究会に行って、そのあとのすっきりした頭で、感じのいいカフェでたまってた日記を手帳に書いて、ごきげんで帰ってくる途中、電車のなかでスケジュールチェックをしたときに見たのが最後だったから、電車のなかに置いてきてしまったのかもしれません。が、4つの鉄道会社の忘れ物センターに電話したけれど、見つからない。

手帳には、スケジュールと、日記を書いていました。
実際的には、今後のスケジュールは、いろんな人に確認をとらせていただくことで、なんとかなりそうですが(ご連絡させていただいた方、お手数をおかけしました。ご協力ありがとうございます。)、あと、生徒さんなどの連絡先などの個人情報などを持ち歩いていなかったのが救いですが、でも個人的ないろいろな記録を書いていたので、ちょっとショックです。他人にはたぶん何の価値もないものだけど、自分にとっては大事なものなので。
だれか親切な方が届けてくださるとうれしいな。
手帳にはお金を数千円、はさんでいたけれど、もし届けてくださる人がいたらお金お礼として。なんて、ここに書いてもしょうがないね。

考えてみると私はふだんからよくものをなくすほうですが、特に9月には大事なものをなくすことが、以前から多いです。9月は私の誕生日があるのですが、誕生日の前後って、そわそわする、とかいう人が多いので、もしかしたらそんなことも関係があるのでしょうか?

まあ記録がなくなっても記憶は残っているわけだし、書くという行為自体のほうが大事だったのかもしれない。大事なことは残っていると信じて、過去の記録は捨てて新たな気持ちになったほうがいいかな?

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