はじめてフラメンコのクラスに行く

はじめてフラメンコのクラスに行く

きのう、「スローフラメンコ」という名前でフラメンコを教えている飯塚真紀さんのクラスに参加しました。

「フラメンコ」と「スロー」という、一見ありえなさそうな組み合わせに惹かれます。

きのうは3人だけの参加者だったのですが、座ったまま、手拍子と掛け声と足踏みの組み合わせで、リズムの流れをつくることをやりました。基本の手拍子をベースにして、そのリズムに合わせて掛け声(オレ!とか、トマケトマ!とか、ットゥットゥットゥットゥッとか)や足踏みを付け加えるのです。
一拍目は手を叩かず、だけどその「音がない」一拍目が一番大事だそうです。
お互い、同じことをやらないようにして、即興でやったり、いろいろしました。

人間の体だけで、楽器も何もなくて、これだけおもしろいリズムが作れるのは楽しいなあ。

でも、リズムをキープしながら手と声と足とで別のことをして、それをどんどん変えていくのはなかなかチャレンジでした。

最後にちょっとだけ立って踊りました。

なんだか踊りのクラスというより音楽のクラスのようで、でもきっと本来、踊りと音楽って分けることができないものなのだろうな。

最初に、参考のCDを聴くときに、あかりを消して暗くして聴いたのもよかったです。おじいさんがしわがれ声で歌っている、土着っぽいフラメンコでした。

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植物文様

植物文様

『植物文様ヴァイオリン・コレクション』というコンサートを聴きに、自由学園の明日館に行ってきた。

植物の葉の表面の電位変化を測る器械を考えたひとがいて、そこでとったデータをもとにつくられた音楽だそうです。

去年、おなじ植物文様のピアノのコンサートに行って、とてもよくて、CDも買ってしまい、今年もまた行くことにしました。

ほんとに植物の脈動の音をそのまま音楽にした、という感じで、たんたんとしていて、いいのです。

でもヴァイオリンって、多くの場合けっこうメロディアスにドラマチックに弾かれることが多いので、あんまりドラマチックになっちゃうとどうなのかな?と思っていた。

でも鈴木理恵子さんというバイオリニストが弾いた音は、
そんなことなかったです。
なんというか抑制された演奏でした。

何曲か、笙も入っていました。
笙の音はオルガンとかハープシコードの音にもなぜかちょっと似ていて、でも違う。
客席の後方、上から音が聞こえてきました。見えないところで吹いていました。

演奏が終わって演奏者が並んだところに、作曲家の藤枝守さんが出てきて、演奏者を紹介しました。いっしょに建物とピアノも紹介しました。ピアノはご縁があってきた、1920年代のピアノだそうです。建物も20年代の建物で、だからほんとにマッチしてうれしかった、と言ってました。

演奏者を紹介するときも、作曲家の藤枝さんはほんとにうれしそうに紹介していました。なんだか、この面子でこの場所で、この楽器でこの曲たちを演奏できていること自体がうれしいという感じで、作曲家と演奏家の関係とか、演奏家と聴衆の関係とか、そういうよくある関係とちがう感じでした。

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札幌カフェめぐり 1

札幌カフェめぐり 1

札幌に来ています。
東京はもう春なのに、こちらは一面、雪が分厚く積もっています。でも気持ちよい寒さです。目が覚める感じ。

でもそう思っていたらこちらの人は、「今日はあたたかいですね」と言います。うーん、あたたかいっていうような気候なのかあ。0℃~5℃ぐらいを行き来してるような気温だけどー。

たしかにみんな、春みたいな格好をしています。
毛糸の帽子と手袋をしている人なんて私だけです。はずかしいな。みんな寒くないのかな。

でも一歩地下街とかお店に入ると、すごくあったかいのです。私にはそのギャップがちょっとつらいのだけど。。

みんな、平気で外も地下街も、元気に歩いています。

コーヒー屋さんに入ってカフェラッテを頼みました。
お酒の瓶がいっぱい並んでいてバーみたいな雰囲気なので、ちょっと心配になって、「ここ、コーヒー屋さんですよね。コーヒーだけでもいいですか?」と聞いてしまったのですが、いいですよ、と言ってくれました。

それなのに、コーヒーがなかなか出てこない。
どうしたんだろう? と思っていたら、
パンダの模様がついたカフェラッテが出てきました!
すごくかわいい!!
店のお兄さんが模様を描いてくれていたので遅くなっていたのでした。
写真が撮れる携帯を持っていないのがすごく残念です。
ここにアップしたかったなあ。

「かわいいですね」と言ったら「全部で6種類描けるんですよ」と言われました。
また来なきゃな。

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ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディランの自伝
を読んでいる。
少し前に彼の映画も観たのだけれど、
映画もよかったけれど(ただ映画はちょっと長すぎたな)、この本は映画以上に衝撃的でした。

まずこの本は、うたうように書いている感じで、言葉の選び方や、リズムがとてもいい。
そして内容は、すごく率直なのです。

今、「オー・マーシー」という章~80年代のところ、つまりディランが40代のころを読んでいるんだけど、

「昔の自分の歌をやってくれと言われても、もうどんな気持ちで歌を書いたのかよく思い出せないし、魂をこめられない」とか、「自分は盛りをすぎたミュージシャンだ」とか言っていてスランプな感じで、「もう引退する」と決意するんだけれど、なんとかそこから抜ける、その過程が書かれていて、その内なる冒険が、不謹慎な言い方だけど、とてもエキサイティングです。

彼にとっては人が自分をどう評価しようと、それがいい評価であれ、悪い評価であれ本当には気にしていなくて、自分が歌に魂をこめられているかとか、そういうことをいつもめざしている。そして人がいくらほめようと、それを自分ができていないと感じると、音楽をやっている意味がない。そのへんがすごくはっきりしていたんだと思う。

そして自分の歌にどうやったら再び魂が宿るのか、それを見つけるやり方がすぐに見つかるわけではなくて、いろいろ失敗をくりかえすのだけれど、その間、地元のミュージシャンの演奏を観て感銘をうけたり、早朝に起きていきなりバイクで旅に出て、通りすがりの店の人と話をすることでひらめきがあったり、そういうことを大事にしている人でした。

こう書くと、私の言葉になってしまうので、うまく伝わらないと思うのだけど、興味がある人はぜひ、彼自身の言葉で読んでほしいなあと思います。

長くつづけることがえらいわけではない、やめるべきときにやめることのほうが大事なこともあるかもしれない。大切なのは、つづけるにしてもやめるにしても、その道すじで何を見て感じてきたかだなあ、なんて、思いました。

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プール

プール

先日、水泳の先生をしている方と一緒にプールに行く機会がありました。彼女とは私のアレクサンダー・テクニークのレッスンに以前来てくださっていたご縁です。

彼女は水の中にいるのがなによりも大好きだそうです。
あちこちの仕事をかけもちしてて、とても忙しそうなスケジュールなのに、とても楽しそうです。
高齢(80代、90代の方もおられるそうです)になってはじめて水泳に挑戦する方に教えたりされていて、お会いすると、高齢の生徒さんたちなどが目を輝かせて楽しんでいる様子をほんとに楽しそうに報告してくださいます。

「水泳というといまだに、どれだけ速く泳げるかとか、どれだけ長い距離を泳げるかを競うものっていうイメージがあるけど、そうじゃないんだ、もっと楽しくて、楽で気持ちいいものだってことを伝えたい。」と、いつもおっしゃってます。

その日は、気楽に一緒に泳ぐだけのつもりでいったのですが、いろいろ教えてもらっちゃいました。

得意な平泳ぎでは、「手をもう少し下に向けてみてみて。そうしたら水の抵抗がもっと少なくなるのよ。」「足を掻いた後に、足をそろえると、その後もすっと進んでいくのよ。」

そのとおりやってみたら、いつもより、少なくかいて、プールのはしまで来てしまいました。

苦手なクロール(息継ぎがうまくできないのです)は、すぐにやってみないで、浅いプールに移動して、ななめ泳ぎや背泳ぎの形で、頭を前に向けたまま体をらせんに動かしてみる練習からしました。(手はあまり掻かないで、あざらしみたいな動きです。)これもまた、今までやってみたことない動きで、おもしろく、意外と気持ちよいのです。

あと、自分では頭をまっすぐに向けているつもりが、ななめに向けてしまっていることも、教えてもらって驚きました。(アレクサンダーの言葉でいうと、「感覚はあてにならない」です。)

クロールがうまくできるようになるところまでは、いきませんでしたが、とても楽しかったです。次のときに使えそうなアイデアをいくつかもらえました。

子どもの頃、泳げなかったので、水泳教室に行かしてもらっていた時期があったのですが、そのときは、ノルマをこなすような感じで、全然楽しくなかったし、たいして泳げるようにもならなかった。その後、自分のペースでみようみまねでやりだしてからのほうが上達したのでした。なんせそこではクロールが25メートル泳げるようになった人しか平泳ぎは教えてもらえなかったし。

でも彼女の教え方はそういうのとは全然違っていて、学ぶ側のペースを尊重してくれる、安心できる教え方で、とてもよかったです。こういう教え方なら教わりたいな。

最近、ものを習うのが楽しいです。

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