ギターレッスン@ボストン

ギターレッスン@ボストン

今、ボストンに来ています。今から2週間弱、滞在する予定です。

きのうの晩、着いたのですが、アメリカ東海岸は、日本と時間がほぼ正反対で、14時間違うので、今こちらは夜中です。

昼間、眠くて、夕方になってくると少しづつ頭がクリアになってきて、夜中になるとはっきり目覚める、という感じになってしまってます。べつに昼寝したわけでもないのに眠くならない。。やばいな。

明日の朝9時から、アレクサンダー・テクニークのクラスです。
ひさしぶりのところなので、ちょっとどきどきです。
それまでに、よく寝て、ちゃんと起きなきゃいけないのに。

今日は、昼間はひたすらぼーっと散歩していました。お店の店員さんなどと簡単な会話を交わすことで、少しづつ英語に慣れてきているところです。
お店の人が、マニュアル会話じゃない人が多いのが、いいな。

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夕方に、ギターのレッスンを受けにいきました。

4年ほど前に、2回ほどだけ行った先生のところです。
その先生は、4年前に偶然、学校の近所に張り紙が貼ってあって、みつけたのです。行ってみたら、私がアレクサンダーの勉強に来てる、と言ったら、「ぼくもアレクサンダーに興味があるんだ。まだレッスン受けたことないんだけど」と言ってました。でも、アレクサンダーと共通点が多いなどとよく言われるフェルデンクライス・メソッドを習ったことがあるとのことでした。

それでということもあって、身体の使い方の面もふくめてていねいに教えてくれる教え方で、なかなか勉強になりました。ネックを握るときや、ピックを持つときの手の自然な使い方とかについてもふくめて、教えてもらいました。

今回、あの先生まだやってるかなぁ、と、ウェブで調べたら、ちょっと引越したけど近所でやっていて、早速予約をいれたのでした。

Jerald Harscher という、ドイツ系っぽい先生です。
(あんまり笑ったりほほえんだりしないのがいかにもドイツ人って感じだなあ。  なんて、ちがったりして。。)

行ったら、「今回、トミーのクラスに行くの?」と言われて、「トミー(私が行くアレクサンダー・テクニークの先生)のこと知ってるんですか?」と言ったら知ってるとのことでした。ちょっとびっくり。あの後レッスンに行ったのかな? それは聞きそびれてしまいました。

そのうえ、さらに話を聞いてみると、アンドーヴァー・エデュケイターという、アレクサンダー・テクニークの考え方に基づいた音楽の教え方(ボディ・マッピングを中心に教えている)があるんですが、それの資格もとったとのことです

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「ギターを弾くことにかんして、どんな夢(ドリーミング)がありますか?」ときかれて、歌の伴奏でリズムギターを、もっと豊かな感じに弾けるようになりたい、と言いました。
そして弾いてみた。

なかなかいい、と言ってくれたけど、
ずっと大きい音で弾いていなくてもいい、と言われた。
歌が消されちゃうから、って。
(多くの人がそんなふうに弾くんだけどね、って。)
(日本で前に行ったギターの先生に、もっと大きい音で弾いたほうが、ギターの鳴りもよくなる、と言われて、がんばって大きい音で弾こうとしていたところもあったのだ。)

でもたとえばベース音をしっかり弾いて、高い音の弦は小さく弾くと、もっと豊かな音になる。

でも私の「リズムをもっとリッチにしたい」というのは、「まさにあなたが今弾けることを聞くと、その次の段階だから、まさにふさわしい課題の設定だね」と、ほめられた。

まずアイデアを説明してくれて、
それに必要なテクニックをどう身につけるかを教えてくた。

あと、あなたはピックを軽く持ってるけど、親指のパワーをもっと使う必要があるときもある。
バーバラ・コナブルが書いてたように、テンションとパワーは違うからね。
それから、ギターの内側にむかって弦をはじいたときが、一番音が響く、下に向かってではなくて、と、教えてくれた。

なかなかたのしいレッスンでした。

こうやって書くと、当たり前しか言っていないように聞こえるかもしれないけど、自分が弾いたのを聞いて、それで言ってくれる言葉だから、貴重です。

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うん、音楽を知っていて、身体の使い方も知っている音楽の先生というのは、いいなぁ。

あとはどれだけ練習する時間がとれるかだな。
でも、あついうちに今だけでもちょっとがんばろう。

てか、ほんとは今練習したいのに、
夜中なのでできないのがくやしい。。

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それと、ときどき生徒になるのは、教え方の勉強にもなるな、とっても。

ボストンでのアレクサンダー・テクニーク:カテゴリー一覧

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ちょっと無謀な旅でした。

ちょっと無謀な旅でした。

このあいだの金曜日、というか木曜の夜行で出て、金曜の夜行で帰ってくるという、車中ニ泊一日の無謀なスケジュールで、弘前まで行って帰ってきた。

もう、若くはないのにな。
(というか若いときでも、日帰りで行き返り夜行、というのは、やったことなかったな。現地で一泊していたよな。)

でも、奈良美智さんの、A to Z を、観たくなっちゃったのだ。
今月22日までしかやっていないので、行ってきてしまった。

夜行バスはロマンがあるので好きなのだけど、やっぱりちょっと背中の痛みが残るなぁ。(首は、空気まくらを持ってるとだいぶん助かるのだけど)

夜中に目がさめたら、バスの窓から北斗七星がきれいに見えた。

でも、弘前についたら、朝風呂をやってる温泉があるというので、それに入れたのはよかった。

300円で入れる大衆浴場。
ただし、ちょっと郊外にあるので、タクシーを使ってしまった。
タクシーのおじちゃんの青森弁が、いい味だしてる。

私のほかには二人だけ、年配の女の人と若い女の人が入っていた。
あとから入ってきたおばさんが、温泉のお湯をばっしゃばっしゃと、窓ガラスに順番にかけている。
裸でお湯をかけているから、お客さんかと思ったが、どうも温泉の係の人だったみたいだ。
部屋の中の鏡にも全部、お湯をかけたら、今度、向こう側の小さい空の湯船のなかに、手桶でお湯をいれて、満杯にしてしまった。

裸で、みごとな体の使い方だった。

「もとは、自然にむこうまでお湯が入ったんだけど、モーターのかげんで入らなくなっちまったんだぁね」と、青森弁で私に話し掛けてくれた。
(こんな話し方じゃなかったかも? いい感じだったのに、もう忘れてしまった。。)

お湯は、赤っぽいお湯で、とっても疲れがとれた。

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弘前はなぜか、ケーキ屋さんやカフェが多い町だった。
焼きたてのアップルパイ(アイスクリームつき)が、とってもおいしかった。

そして今だけ、奈良さんの絵の女の子の焼印のついたさまざまなケーキやお菓子が、町のいくつかのお菓子やさんで、売られている。
(そのお菓子やさんの独自のお菓子に、それぞれなりの工夫で焼印をくっつけている)。私は和菓子やさんでお土産に買った。

今回の展覧会にあわせて県外から来ている人が、私のほかにもけっこういるみたいだった。

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奈良さんの展覧会は、以前、東京の原美術館でやってたときに観にいって、そのときにとても心を動かされた。
なんというか、”場”というものに、働きかけ、また働きかけられている作品だったところが、とてもよかったのだ。

今回は、2回目だったし、はじめてのときほどは心を動かされなかったけど、こうやって活動を続けておられるのに、勇気付けられる。
とくに、奈良さんの地元の弘前の古い建物でやる、というのに、心惹かれた。

でも奈良さんも、「けっこう町が変わってしまって、ふるさとはむしろ、心の中にあるんだと思う」と言っていたのは、複雑な気持ちで聞いた。
たしかに弘前は、かなりいい町だけど、もっと昔はもっといい町だったんだろうな、という感じがする町だった。

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今回のA to Z は、ボランティアの人がすごくたくさんかかわっているようで、会場の設営も、はじまってからの受け付けも何も、全部ボランティアの人たちがやっているのだ。
会場に併設されているカフェの運営も、ボランティアのひとたちがやってる。

そのボランティアのひとたちが、とても楽しそうだったのがよかった。

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ただ、たくさんの人たちがかかわっているものなのに、それぞれの作品には、ひとりで向き合わされる、という感じを感じた。

作品の登場人物の女の子や犬も、みんなそれぞれひとりでがんばっている。

私はそれを、どううけとめられたのだろうか?

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弘前の人は、親切だった。
というか、杓子定規じゃなくて融通がきく。

帰りのバスに乗る前にも、温泉に入りたくて、「この近くに温泉ありますか?」と、タクシーに乗ったら、「すぐそこだよ。歩いてもいけるよ。でも、乗せてあげるよ。料金はいいから。」
と、メーターを倒して連れて行ってくれた。

でも残念ながら、そこはもう閉まってしまっていた。
でも心があたたかくなった。

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ミスドのウェイトレスさんが、私には、(イントネーションは多少違えど)標準語でしゃべってくれるけど、地元のおじさんが方言で話しかけたら、方言で答えていたのも、なんだかよかった。

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ちょっと駆け足の旅で、自分でも、ちょっとばからしかったかも、と、あとで反省しちゃった面もあるのだけど、
ちょっとでもその空間を味わえたのはよかったかな。

私にとってはじめての、青森県だった。

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東京と京都には、時差がある

東京と京都には、時差がある

東京と京都は、時差があるような気がした。

とくに一番の繁華街の河原町近辺に行かなかったからというのもあるけれど、時間がゆっくり流れる。

そしてその独特の時間に適応するのには、時間がかかる。

時間だけでなく、スペースもある。
来てすぐ、北大路の駅前のスタバに入ったのだけど、
そのゆったりとしたスペースに感激。
そして店員さんが親切。
ここなら何時間でもいられるなと思ってしまった。

京都らしいところを見ないでスタバにいるなんて、と言われそうだけど、このスタバも、まさに京都らしいような気がしたのです。

それで、翌日の朝も、このスタバにいって、仕事上の書き物などをしたら、いつになくはかどって、うれしかった。

そうこうしているうちに、お天気がよくなってきたので、宿で自転車を借りました。

西陣の、銭湯を改造したカフェ、サラサ西陣に行き、また、3時間ぐらいまったりとしてしまった。

ようやく、京都のテンポに慣れてきたような気がしました。

(京都にずっと住んでいる人は、ここにいてももっとちゃんと忙しく働けるんだと思うんだけどね。念のため。)

それから、上桂に住む友人のうちまで自転車で。
けっこう、遠かった!
でも1時間ぐらいかな。
いい汗をかきました。

友人のWのうちは、ワンルームなのにベランダが4畳もある!
そこから、山が四方に見える。(夜だったから見えなかったけど)。

そこで、みんなで野菜のパスタとスープをつくって、食べました。
ちょっと肌寒かったけど、おいしかった!

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雨音とピアノ

雨音とピアノ

1年半ぶりに京都に行ってきました。京都は、アレクサンダー・テクニークを勉強したときに住んでいたところだし、第二の故郷のようなところで、少し前までは、シーズン毎ぐらいに行っていたのに、1年半も行っていなかったのは、とてもひさしぶりな気分です。

でも行ってしまえばそんなにひさしぶりな感じはしません。

今の時期にいったのは、南アフリカのジャズのピアニスト、アブドゥラー・イブラヒムのコンサートが、上賀茂神社であるからでした。

ラッシュライフという、小さなジャズ喫茶が主催です。3年前にも、同じ場所で彼のコンサートがあって、とてもよかったので、今回もとても楽しみにしてました。なんと彼自身も、「あそこの場所が忘れられない。またぜひあそこでコンサートしたい」と連絡してきたそうです。

しかし!前の晩、準備をしていたら、郵送してもらったチケットがありません!

窮してラッシュライフに事情をメールで書いて送ったら、でも、
「大丈夫です。こちらにご入金記録がありますので、どうぞお越し下さい。」
と、すぐに返事が返ってきました。よかった~。

会場には、身分証明書を求められることもなく、入ることができました。

1600年代に建てられたという木造の古い建物のまんなかにグランドピアノが置かれて、コンサートがはじまりました。まわりに座布団が並んでいて、私達はピアノのすぐそばに座ることができました。ピアノの椅子の横に、黒い革靴が置いてあります。

外は雨がずいぶん降っています。ちょっと寒いのでレインコートを着たまま聴くことにしました。

神社の人が雅楽を演奏した後、アブドゥラーが出て来ました。ごっついけど静かなたたずまいの人です。71歳だそうです。
靴を履いて演奏し始めます。エンドレスで弾いていきます。
レコードで聴いたことのあるフレーズがときどき現れて、また違う展開になっていって。。即興の交響曲みたいな感じです。

外の雨音とピアノの音があわさって、ひとつの音楽になっていきます。
3年前よりも、陽気な曲調が多くなったような気もします。
1時間ぐらいエンドレスで弾いて、30分の休憩になりました。

会場の外で主催のボランティアスタッフの人たちがパンとコーヒーを売っていて、(主催がコーヒー屋さんだけあってやっぱりコーヒーです。)パンを食べました。おいしかったです。

後半も1時間ぐらいの演奏です。目を瞑って聴きたくなって、目を瞑っていたら、ちょっと眠ってしまいました。
(でも眠ってても、曲は聞こえていましたよ。)

終わって、あたたかい拍手があって、アンコールです。アブドゥラーは、何もしゃべらなかったけど、顔の表情が豊かな人で、表情で観客の拍手や声に応えてくれました。

——

思えばアブドゥラーの音楽にはじめて出会ったのも、ラッシュライフででした。
カウンターだけのお店だし、私はジャズのこともあまりよく知らないので、最初入るのにはちょっと勇気がいったけど、大きいスピーカーから小さい音で流れてくる音楽が、とてもあたたかくて、
余計なことをしゃべらない、年齢不詳のマスターがゆっくりいれてくれるコーヒーもおいしい。
(なぜか、注文してからしばらくたってから、コーヒーをいれはじめてくれるような気がするのです。)

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近藤ヒロミさんのカリンバ

近藤ヒロミさんのカリンバ

・9/10 近藤ヒロミさんのカリンバのライブ@千駄木・古書ほうろう

近藤ヒロミさんのことは知らなかったのだが、その4日前にうちの近所のネパール料理屋でライブをやったとき同居人のNが行ってきて、すっかり気に入ってしまってまた行くというので、そんなに良いならと私も行くことにする。

行ってよかった!!

近藤さんは、ご自身とカリンバの最初の出会いを、
「バスや船をのりついで、アフリカを旅していたとき、小さな町に着いて、物売りや、子どもを背負った母親たちをぼんやりながめていたら、ビンビコビリリン ビンビコビコ とおくからきこえてきた」 と、言っていた

近藤さんのコンサートも、そんなふうに、どこかから聞こえてくる音楽を聴いているみたいな感じだった。
本棚が並んだ古本屋の奥のスペースをあけて、そこで、椅子に座った近藤さんを囲んで聴く人が床に座っている。 私達は、あえて床には座らず、本棚と本棚の間に立っていた。(後からお店の人が椅子を持ってきてくれた。)

蚊にさされて、かゆかった。
お店の人に言ったら、「いつもいるんですよ~、強力なのが。でも蚊取り線香しかなくて、蚊取り線香は声に悪いかもしれないから~」と、言われたので、「あ、そうですよね。大丈夫です」。
Nがラベンダーオイルを持っていて、それをつけたらかゆみはおさまった。でも長袖をはおって防衛しておいた。 (でもお店の人が蚊を全然気にしていない感じは、悪くなかった。)

近藤さんの音楽は、どこからともなく聞こえてくるみたいに聴きたかったので、本棚の本を手にとったりしながら、聴いていた。

本の森のなかで、音楽を聴く・・・

(おかげで気になる本を何冊か見つけて、買ってしまった。)
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なんというか、ミュージシャンと観客の関係って、観客をミュージシャンが注目することで成り立つ、みたいな図式が成立している感じがあるけれど、近藤さんのライブは、そういう感じではなかった。
近藤さん自身、注目されることを全然、期待していない感じなのだ。 カリンバを弾きながら歌も歌うんだけれど、歌も、とても小さい声で、ほんとの鼻歌みたいに歌う。
それが、いいんだよな。

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私も小さいころから歌うのが好きで、でも大きい声が出ないから歌うひとにはなれないな、と、もう少し大きくなってからは思うようになった。
アレクサンダー・テクニークをはじめてからは、声を出すのはずいぶん、もっと楽になったのだけれど、 でも、はじめから大きい声を出そうとしない、という選択肢も、あるんだよな。
歌というのは大きい声で歌わなくてはいけない、というのも、固定観念かも

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それな~に? どんな音がするの?
と言われて、
こんな感じ~
と、弾いてみせてるだけ、
というようなコンサートだった。

でもぜんぜん、退屈しなかった。
時間がゆったり流れて、ふだんの生活時間を背負ってやってきた私を、少し変えてくれた感じ。

—–

カリンバを弾いているときに、ビヨビヨ、と、ときどき雑音みたいな音がする。
以前、レコードで聴いたとき、この音は、マイクのハウリングかなと思っていた。
でも、実はその音は、カリンバに、空き瓶のふたとかをくっつけて、わざと出しているのだった!
それがわかったのも、とてもおもしろかった!

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