高尾山

高尾山

先月からなんと3回、高尾山に行ってきました。

4月1日に行ったときは2時すぎに家を出て、3時すぎにふもとに着きました。ふつうの山ならそんな時間からは登れないけれど、その日は天気がよくて明るかったので、行けるところまで行ってみようと、ロープウェイ駅の左端からはじまっている、6号道という道を歩いてみました。「沢沿いの道」というのがそそられます。

桜並木のコンクリの道をしばらく歩いてから、病院の前から左側の土の道に入ります。あ~、最近は、土の道を歩ける機会がほんとに少ないので、それだけでもうれしくなってきます。雨の後だからか、地面がしっとりとしていて気持ちよいです。
鳥の声がきこえてきて、いろんな種類の木があります。まだ春先なので、葉っぱが出てきていない木も多いけど、枝の形や生え方がさまざまで楽しいです。いろんな生え方の木があるからか、森に入っても、ぜんぜん暗くないのです。

最近知ったのですが、高尾山には1321種もの植物があって、5000種の昆虫と、150種の野鳥がいるそうです。
人工的に植林した山とは違って、昔からの姿のままの山なんだろうな。

小さな花があちこちに咲いていて、足元から蛙らしき声もあちこちから聞こえてきます。蛙というとうるさいイメージがあるけど、なんだかうれしくなるようなきれいな声です。でも姿はみえません。

木々の写真を撮りながら歩いていたら、いつのまにかどこかでカメラを落としてしまいました。5時をまわって寒くなってきたので、カメラを探しながらひきかえしました。
見つからなかったけれど、でも人が作ったものだし、お金を出せば買えるからいいかな、と、なにか割り切れました。こういう自然みたいに、なくなったら取り返せないものとは違うから。。

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そんなことを思ったのも、今、高尾山に圏央道のためにトンネルを掘ることがはじまろうとしている、ということを知ったからです。
トンネルを掘ったら滝や地下水が枯れてしまうだろうし、そうしたらここに棲んでいる動植物も、棲めなくなるものが多いでしょう。
でも国は、滝が枯れたら水道水を滝に流すと言っているそうです。
そんなめちゃくちゃな、と、思ったのだけど、別の日にメインストリートの1号道を歩いたら、「○日~○日に水道敷設工事を行います」という看板がいっぱいあって、ほんとにやろうとしてるんだ! と怖くなりました。

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別の日に、高尾山を守る活動をしている人たちが、トラスト地につくっているデッキに行ってきました。夏にこの人たちが主催しているキャンプに行ったときにも思ったのですが、いいエネルギーを感じて、頼れる人たちと感じます。

なんというかそういう活動って、どうしてもしんどいものになりがちだと思うんだけれど、そういうふうにはなっていなく、このあいだ行ったときも、逆に元気をもらったような感じでした。
反対するだけにとどまらず、もっと大きなヴィジョンをもっているからなのかな?
http://takao-kenju.sakura.ne.jp/index.html

高尾山の自然をできるだけ味わっておきたい。
でもそれを今だけのことにしたくない。
うん、道は、山を迂回してつくればいい。
We know better way.

PS)カメラは、翌日に電話したら、高尾登山鉄道の駅に届いていました。登山客が拾ってくれたのかな? 登山鉄道の人が郵送で送ってくれました!

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ハーブととれたての魚のディナー

ハーブととれたての魚のディナー

なかなか日記が書けませんでした。みなさんお元気でしょうか?
私はきのう、無事、仕事納めになりました。

ちょっとさかのぼった日記です。
クリスマスには、今年は20年ぶりぐらいに、母の行っている教会に行ってきました。蝋燭をひとりひとり渡されて、それを灯して賛美歌を歌って、お話を聞きました。年配の信者の方が多く、聖歌隊も、年配の方を中心に、白い衣装を着て歌ってくださったのがきれいでした。
牧師先生が「小さい灯火を守る」ことについてのお話をしてくださり、終わったら、子どもたちを中心に、蝋燭を持って通りを回って歌う「キャロリング」、そして帰ってきて、おでんとおしるこをいただきました。

次の日は、真鶴に一泊旅行に行ってきました。真鶴には海と森があって、お気に入りの宿があるのです。去年にひきつづき、クリスマスの時に行くのは2度目です。

その宿は、駅からタクシーで急坂を登っていって、少しさびれた、大きいラブホテルを越えたところにあって、ちょっと「だいじょうぶかな?」と思うのですが、到着すると、ハーブと野菜でいっぱいのきれいな畑があって、そのなかに小さな建物があるのです。

チェックインすると、お風呂に案内されるのですが、お風呂にも生のハーブがいっぱいと、ゆずが一つ浮かんでいて、とても、やわらかい、いい香りです。入ったら芯からあったまることができました。

少し休んだら夕食です。夕食は、海が見渡せるダイニングで、自家製ハーブと、地元の魚を中心にしたコース料理です。食前酒に自家製かりんリキュールを頼みました。
お酒を飲むのはひさしぶりなのだけど、すごくおいしくておかわりをしてしまいました。

じゃがいものグラタン、いさきといわしと野菜いっぱいのマリネ、かますのソテー白菜よせ、パスタ、自家製ゆずアイスクリーム。。。
どれも、ハーブが絶妙に入っていて、繊細に工夫されたやさしい味付けです。

「いちばんおいしい魚は、いわしなんですよね」と、シェフは言っていました。でも、いわしはだんだん取れなくなってきているそうです。
いさきも新鮮で、とてもおいしかったです。

実はその日まで2週間ほどお腹の調子が悪くて、食べられるか心配だったのですが、おいしくお腹いっぱい食べてしまいました。
最後にはハーブティーを出してくれるのですが、ハーブティーの種類のなかで、「お腹にやさしいのはどれですか?」と聞いたら、「そうですねー。じゃあお腹ブレンドを作りましょう!」と、メニューにないブレンドを作ってくださいました。ハイビスカスやバラが入って、ミント系のものはお腹にはあまりよくないそうなので入れず、そんな感じのブレンドです。私はバラ系のお茶はちょっと苦手だったのですが、このブレンドはとてもやさしい味でした。

お腹いっぱいですぐ寝てしまったのですが、起きたら、お腹のもたれもなく、かえって調子が戻ってきた感じです。
朝ごはんも、手作りスコーンや野菜のスープなど、ごちそうでしたが、またおいしく食べました。

うーん、丹精をこめて作られた手作りのハーブや野菜の力はすごい!

ここの宿のすごいのは、宿主がほとんど一人ですべてのことをやっているところです。お料理、お風呂の準備、畑、それから見えないところだけど部屋の掃除などもあるし。。
食事のサーブと畑は、宿主のお母様であるおばあさんが、やってくださいました。

宿主はいつも小走りで忙しく働いているのですが、ふしぎとあわただしい雰囲気はなく、お客の私たちはゆったりと落ち着いていられるのです。仕事がほんとに楽しくてやっているんだろうなあという思います。
そして、こんなサービスを考えるとお値段もすごくリーズナブルなのです。

宿泊客は、2組までしか受け付けないそうで、この日は私たちしかいない、貸切状態でした。

http://www.hillside-house.com/

翌日は、スコーンをお弁当にして、真鶴の森と海を散歩しました。午前中は、まだ朝露で落ち葉の落ちた土の道はしっとりとしていて気持ちよく、いろんな鳥の声が聞こえます。真鶴の森は、「魚付きの森」と言って、そこに森があることによって、魚がよく来る、という役割があるそうです。小さい半島で、森の木々のすきまから海が見えるのです。

海に出たら、小さいバケツを持って長靴を履いて、海苔をとってる人たちがたくさんいました。

とてもリフレッシュした二日間でした。
そして、その日以来、お腹もすっかり治ってしまいました。

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アイヌと沖縄の祭り~チャランケ祭

アイヌと沖縄の祭り~チャランケ祭

「チャランケ祭」というのに行ってきました。
アイヌと沖縄の祭りです。
「チャランケ」という言葉が、アイヌ語でも沖縄でもあるそうです。アイヌ語では「とことん話し合う」沖縄では「消えんなよ」という意味だそうです。それで、アイヌと沖縄の人が盛り上がって14年前にはじめたお祭りだそうで、今年なんと14回目だそうです。

場所は中野の北口広場でやりました。
駅前の、サンプラザの前、自転車置き場の隣の広場です。
駅前だから普通に通行人が、柵の向こうを歩いたり自転車で通ったりしていて、「なんだろう?」と、こっちをちょっと覗いていったりしています。

土日二日間あって、一日目は「カムイノミ」(神様に捧げるお祈りの儀式)からはじまりました。
アイヌの世界では「カムイ(神様)」というのは、クマやオオカミのカムイ、火や水のカムイなど、たくさんいるそうです。
そのなかで今日はまず、火のカムイにお祈りを捧げて、
「ここでチャランケ祭が行われることをこの地のカムイたちに告げ、北海道のふるさとから遠い地で死んでいったアイヌ達への先祖供養をする」ことからはじめるということでした。

その前に非公式に沖縄のエイサーがあって、盛り上がった後、少し離れた場所でカムイノミの儀式はとても静かにはじまりました。

木の下、だけどコンクリの地面の上にゴザを敷いて、アイヌの人たち、そして沖縄の人たちの代表者も座って、ゆっくりお酒を用意して、そのお酒を火のカムイに捧げて、そのとき長老はなんか口を動かしていたのでお祈りの言葉を捧げていたのかな? そしてそのお酒をゆっくりみんなに回して、、、煙草を吸ってそれも回したりもしていたな、、、すごく長い時間そうしていました。

私たちはそれをまわりで取り囲んで見ていたのだけど、すごく長い時間なので途中で席を外して出店を観にいったりしてしまったのだけど、戻ってきてもまだ変わらずゆっくりと続いていました。

あとで思うと見るんなら最後までちゃんと見ないと失礼だったかもな。
(アイヌの人たちはどう観られているかは全く気にしていなさそうだったけれど)

儀式が終わるまで、とても小さな声でお祈りを捧げるほかは、誰も何も言いません。

儀式が終わって、はじめて長老がマイクを取って、「これでカムイノミが終わりました。」みたいなごく簡単な挨拶をしました。
カムイノミのなかで、先祖供養やお祭りの報告のほか、参加者の人たちの道中の安全と健康もお祈りしてくれたそうです。

今日は朝から相方ともどもいまひとつ元気がなかったのに、お祭りの後元気が出て、あまり疲れも出なかったのはそのおかげだったのかな?

それからおもむろにアイヌの節回しで輪踊りがはじまって、少し踊った後、輪がほどけて、あとはゆるい感じでいろんな場所に人々は散らばり歓談したりしてました。しばらくしたらそこここで音楽がまたはじまりだしました。

私たちはオハウ(鮭と野菜のスープ)と、サーターアンダンギー(沖縄のまんまるいドーナツ)を同時に食べ、アイヌ文様のきり紙を体験して、出店を見て、夜も更けて寒くなってきたので早めにおいとましました。

でも、すごく長い時間そこにいたと思ったのに、2時間ちょっとしか経ってなかったのが不思議でした。時間が伸びた感じ。

それで家に帰る途中、足をちょっと伸ばして温泉に寄って帰りました。

お祭り自体はもっと夜遅くまで続いていたそうです。

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札幌に行ったとき友達が、
「札幌で鮭の季節になると、鮭のカムイに捧げるお祭りをやるんですよ。それがね、豊平川の河原でやるんだけど、町の中心部のすぐそこの河原だから、周りは高いビルがいっぱいあるし、こんなところで、と思うんだけど、そういうところで昔と変わらず地味~に続けていることがすごいと思うんだよね~。地味なんだけど、行ったら誰でも気軽に入れてくれるような感じでね~」
というようなことを言っていて、興味をひかれていたことを思い出しました。

東京でも同じように、中野の、ビルいっぱいで普通にごみごみした、あまり風情があるとも言えない町の中心で、とくに飾りつけをしたり特別感を演出をしたりすることもなく、そのまんまのその場所で祭りをやっていた。

自分たちの場所をみつけるためにどこか遠くを探すということではないんだな。

今、ここに住んでいるのだから、そこが自分たちの場所。そこに居て、やることをやることで、そこはすでに神聖な場所になってしまう、

そういうことなんだな、と思いました。
忘れていたことだな、と思いました。

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ピアノを弾く猫

ピアノを弾く猫

今、ボストンに来ています。2週間、滞在する予定です。

ボストン南部のドチェスターというところにあるお家にお世話になっています。古くからある町らしくて、わりと古い家が多いけど、庶民的な町で、黒人やアジア人が多いです。なんとなく、馴染みやすい感じ。

私は何回かボストンに来たうち、友人のところに泊まったとき以外は、ここにお世話になっています。
最初に来たとき、滞在費を浮かすために、Roommateservice.com というインターネットのサイトで見つけた、個人のおうちです。
アメリカには大きいお家が多いけど、普通の人には家賃が高いので、何人かで家をシェアして住んでいる人が多いようで、今はほかに3人、ルームメイトがいます。学生はいなくて、みんな働いている人です。

家主がインターナショナルな考え方の持ち主で、彼自身は白人アメリカ人なのですが、ベトナム人の孤児だった人を養子にしていて、その彼が成人して家族をもって、下の階に住んでいます。
私が最初来たときは、彼はティーンエイジャーでぐれていて、犯罪事件を犯しちゃったりもして大変だったみたいでした。
それでも、血がつながっていない子どもを辛抱強くサポートしていたシングルファザーの家主は、ほんとにすごいなあ、と思いました。

次に行ったときは彼は、熱心なクリスチャンになったらしくて、やたら早起きでした。
私にインスタントのベトナムラーメンを作ってくれて、「これからダンス行くんだけど、行かない?」とか、ベトナム訛りの聴きとりにくい早口英語で誘ってくれました。疲れていていけなかったけれど。「行こうよ!たのしまなきゃ!」とか、熱心に言ってくれてたな。

今では同じベトナム出身の奥さんとのあいだの、二人の子どものパパになってます。

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そう、猫の話でしたね。
ルームメイトが飼っている、黒い大きな若い猫がいるんです。オランドという名前です。なかなか思慮深い猫で、私にも興味をもってくれてはいるんですが、部屋までは入ってきません。いないときにこっそり部屋をのぞこうとしていたけれど、私が帰ってきたら慌てて逃げたりしてて、かわいい。。

でも、音楽が好きなようで、私が部屋でギターを弾いていたら、はじめて部屋に入ってきました。

そして、今日、持ってきたひょうたんスピーカーにIpodをつなげて聴いてたら、隣の部屋でピアノの音がぽろんぽろんとしてきました。
だれか帰ってきたのかな? と思ったけど、すぐ音はやんだので気にせず、用事をしていました。それからまたぽろんぽろん♪ と音がして、隣の部屋に出たら、猫がピアノの椅子にのっていました。

でも座ってはいなくて椅子に寝っころがってもぞもぞもぞもぞしています。

私がひっこんだらまた音が聞こえてきました。

出たら、またピアノの椅子に寝っころがってもぞもぞ。。

弾いているところを見られるのがはずかしいのかな?

家主も、「この猫はピアノを弾いてくれるんだよ」と言っていて、
お、だからピアノのふたがあけっぱなしになっていたのか?
と、そのときは思ったのですが、
でも、ピアノの上を歩くとか、そういうことかな? と、思っていました。
こんなにきれいな音でぽろんぽろん弾くとは思わなかったな。

見ていないから想像だけど、前足を鍵盤に乗せて、注意深く弾いている感じです。

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京都音楽博覧会

京都音楽博覧会

京都音楽博覧会に行ってきました。

http://www.kyotoonpaku.net/

京都音楽博覧会は、京都出身のバンド「くるり」が主催した野外フェスでした。いろいろな土地に根ざしたミュージシャンを呼んできていました。沖縄とブルガリアとアメリカと京都とアイルランド。その土地らしい音楽をやっている人を選んだ、という感じです。日本で名が知られている人もいるけど、半分ぐらいはそうでもない人です。
うん、くるりは、音楽が生まれる「場所」ってものを大切にしている人たちで、そこが私は好きです。

フェスは、最初すごく暑くて、それから雨が降ってずぶぬれになって涼しくなって、しばらく経ったらまた大雨が降って降りやまず、最後には寒かったです。
終わって、京都タワーの銭湯に入って帰りました。同じようにフェスの参加証のリストバンドをつけた人たちがいっぱい銭湯にいました。銭湯のおばさんたち驚いただろうな。若い子たちが急にいっぱいきて。(私はあんまり若くないけど)。

でも日本の音楽フェスの老舗のフジロックも、最初の年はすごい悪天候だったらしいし、それで今まで続いているわけだから、フェスに雨というのは幸先がいいのかもしれません。快適な天候より思い出に残りそう。
今度またフェスに行くとしたらどんなに晴れていても雨の用意はしていこう。

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会場は、梅小路公園というところで、まわりには団地などがあるのであまり大きな音を出せないらしく、すべてのバンドがアコースティック編成でやりました。アンプは通すのだけど、エレキギターやドラムセットは使わない編成です。これがなかなかよかったです。

出演者のひとりのcoccoも、ギタリストの長田さんと二人だけの編成でしたが、 cocco自身も珍しくギターを弾いていました。(「私は楽器がなにもできないから」、といつも言っているのに)。

そして沖縄の、米軍基地の移転予定地、辺野古にいる希少動物ジュゴンのことを話して、ジュゴンに捧げる歌を歌ってくれました。沖縄出身者として、基地がすでに生活の一部になっていることにたいする複雑な思い(一概に反対といえないということもふくめて)もありながら、それでもジュゴンが帰ってきたニュースを見てとてもうれしかったそうで、ジュゴンのために自分にできることをしなくちゃと思ったそうです。

これは、それより少し前のトークと歌ですが、同じテーマのcoccoの話です。
http://www.cocco.co.jp/contents/index.html
(「期間限定スペシャル映像はこちら」と言うところをクリック)
でもフェスのときは、coccoは京都の町で前の日に基地反対のビラをもらってさらに考えたこととかもふくめて、リアルタイムな気持ちをいろいろ話してくれました。ウェブサイトのときよりも、やわらかいというか、両方の立場を考えたような、そんな話でした。

coccoの歌声がとてもよく響いて後方のマンションのほうにこだましていました。
思わず後ろをふりむいてマンションのほうを見ていた人が私のほかにもいました。
マンションの人がベランダに出て見ていました。

そのほかにも、いろんなしょうもない話もしてくれながら歌ってくれて、そんな話と歌とのひとつながりな感じがよかったです。

他のミュージシャンの演奏も、寒いなかだったけどよかったです。
くるりは今年になってから3回目なので、くるりには厳しくなってしまうけど、でもやっぱりよかったです。ウッドベースとアコースティックギターをずっと弾いてくれたのがよかったな。

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それから屋台の食べ物屋がとてもよかったのです。
みんな手作りでちゃんと作っているお店ばかりで、食べ物も飲み物もおいしいのです。

若い人が小資本で経営からやってるお店が多かったようで、こんな大きなイベントが初めてで、ご飯が足りなくなったりいろいろハプニングはあったようだけれど、いい「気」が出てました。

そして1万8000人の入場者でしたが、食器は割り箸以外ぜんぶリユースで、その場で洗ってまた使う(ボランティア団体の若者たちが洗ってくれるのだけど)という画期的な試みでした。ごみがでないし、なんといっても紙コップや紙皿より味がずっとおいしく感じます。
(割り箸はリサイクルするんだって。)

なんかこのシステム、物質としてのごみが出ないだけじゃなくて、その場にいい「気」を集めることに貢献しているような気がしました。
こういう大きなイベントで、こういう気持ちよさを体験した人たちがそれを家に持ち帰ることで、なにかが変わっていくことってありそう。

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音楽博覧会自体、スポンサーなしで行われたようで、満員御礼なのに赤字だったそうで(ということはくるりのCDの売り上げでまかなわれたのかなあ?)、大変だけど、その分、いい「気」で満ちていた感じでした。

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