春ですね。ことしもよろしくお願いいたします。

春ですね。ことしもよろしくお願いいたします。

 ◆◆◆ littlesounds ニュース ◆◆◆
     2009.2.4  石井 ゆりこ

新年が明けて、旧暦の新年も先週に明けて、きのうの節分を過ぎ、立春になりました。春の訪れが、いろんなところで感じられますでしょうか? 外を歩くのが楽しみです。

私は西暦の新年も、いっせいに会社や仕事場がお休みになって町が静かになるのが好きですが、旧暦の新年も、より季節の動きを感じられる気がして好きです。

今年もアレクサンダー・テクニークのレッスンや、またはその他のところでも、みなさんといろいろな出会いができればうれしいです。

いろいろな世の中の動きがある今日このごろですが、それぞれの人が、自分自身のもつ力を信頼して、また自分の感覚を信頼してそれを研ぎ澄ませて生きていけるために、アレクサンダー・テクニークを使ったり(ほかのものでも、いいと思うけれど)しながら、元気に生きていけたらいいなと思います。いらないものは削ぎ落として、自分の中を充実させて、いろいろなことを味わいながら、元気に生きていけたらいいなと思います。

☆.。.:*・°

旧暦では今年は5月に閏月が入る関係で、春は短く夏が長いそうです。いまから4月25日まで春で、それから梅雨、夏となって、暦のうえでは8月20日までが夏、でも本格的な秋の入りは9月19日ごろからだそうです。(旧暦メールマガジン「カランドリエ」からの情報です。)それぞれの季節を思いきり味わって暮らしたいですね。

☆.。.:*・°

アレクサンダー・テクニークのレッスンは随時受け付けております。しばらく間を空けておられた方も、ふと気になるときがあったら、お気軽にご連絡をお待ちしています。
http://www.littlesounds.com/lesson_p/index.htm

ワークショップのほうも、問合せを何人かの方からいただいているので、折を見て再開したいと思っています。もう少しお待ちくださいませ。

その他、みなさんの近況報告なども、お待ちしております。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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石井ゆりこ
アレクサンダーテクニーク千石教室・玉川学園教室
yuriko@littlesounds.com
http://www.littlesounds.com

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エクアドルから帰ってきました。

エクアドルから帰ってきました。

エクアドルから帰ってきました。

いろいろあって、どこから報告したらいいかわからないので、
とりあえず思いつくことを箇条書きにしてみました。

・ガタガタ道を古いバスや、トラックの荷台にゆられていった時間のこと
・一面の緑と、その中を歩く人や牛や馬と、日干し煉瓦の家々
・インタグは山奥で辺鄙なところなのに、人々が老若男女、元気だったところ
 山の中にもしっかり生活があるところ
・インタグの新聞社やラジオ局、おもちゃみたいに古い資材をリユースで使って、必要な情報を伝えようとがんばっていたところ
・AACRI(アアクリ)のコーヒー工場がこじんまりとかわいいところだったこと、そこでがんばっている人々のこと

・カルロス家でのろうそくの光と、夜の闇の深さ
・カルロス家での、『モチモチの木』みたいなあふれる星くずのこと
・カルロス家の、自家製コンポストトイレの気持ちよさ
・カルロス家から行った原生林の、植物たちの生命力と、日本の森との生態系のちがいについて(亜熱帯の森は成長が早い!)

・カブヤ編みの女性達の話を聞いて、直接作品を買えたこと
・カブヤ編みの女性達と、日本に輸入をしているアミさんとアヤさんが、じっくり協力しあい話し合いながら納品作業をしていたこと

・エル・ミラグロまで行く道の水と森の豊かさ
・エル・ミラグロの手作りの家のすてきさ、窓からハチドリが入ってくること
・森林農法のコーヒー摘みがたのしかったこと
・エル・ミラグロの管理を担っているルイスとメルセデスのほほえましい人柄

・中村さん(有機コーヒー社長)が、エクアドルのいろんな人と話すとき、代表的な人物だけでなく、縁の下の力持ち的な人や、若い人などにも、かならず声をかけること
・そういう人の名前を全部覚えて、スピーチのときに名前を言うところ
・中村さんがいろんな立場の人にどういう質問をするかについて(長い目を見据えたような質問がたくさんあった気がした)
・中村さんが、参加者の私たちひとりひとりのことも、向こうの人に名前を出して紹介してくれたこと
・中村さんが、子どもたちの名前に日本語の漢字をつけてあげて、人気者になっていたこと
・参加者で夜ビールを飲みながら語り合ったこと(ツアーの話、本や映画の話)

・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんのすごさ
・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんが、3歳の娘ムユちゃんをだっこしたり肩車したりしながら仕事する姿 
(ムユちゃんに話しかけられたら、それにちゃんと答えてから仕事に戻るところ。
仕事と生活のきりはなせなさについて。)
・そういう働くお母さんの姿勢は、エクアドルの人たちにはけっこうあたりまえらしいこと。

・ワダアヤさん一家がつくったクリキンディの手作りの建物や、五右衛門風呂や、畑や動物たちのこと
・働き者のだんなさんのエクトルの人柄
・ムユちゃんのかわいさ(ポニョにそっくり!)

・ワダアヤさん一家が住む地域で、先住民(キチュア)の人々と交流できたこと
・みんなと同じ釜のごはん(お芋と豆中心のシンプルごはん)を食べたこと
・子どもたちと遊んだ時間
・キチュアの人の黒髪、男性の三つ編みのすてきさのこと
・キチュアの人がみんなはいてるカブヤのサンダル編みの現場を見せてもらったこと
・小学校での織物クラスでの子どもたちの楽しそうだったこと
 木製の織物機械がうつくしかったこと

・どこに行っても(どんな田舎でも)ギターを持って歌を歌う人が出てきて歓待してくれたこと
・それはだいたい同じリズムで、同じメロディーで、それにいろんな歌詞をつけているらしいこと
・カルロスさんは李白の詩に曲をつけて歌ってくれたこと
 私もギターを借りて歌えたこと

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2週間ほど旅に出ます

2週間ほど旅に出ます

本日9月24日から10月6日まで、旅に出ます。インターネットも見られなくなるのですみませんが、お返事は帰ってからさせていただきますね。

今回は、地球の反対側の、南米のエクアドルの森に行ってまいります。赤道直下だけど標高が高いので涼しいそうです。そこの、「雲霧林」という珍しい生態系の森で、森林農法(ほかのいろいろな木と一緒に農作物を植えることで、原生林と同じような生態系を保てるし、農作物も有機で育てられる)という方法でコーヒーを作っている人たちがいて、その人たちを訪ねてきます。)

そこの美しい土地には、銅山の開発の計画が10年以上も前から持ち上がっていて、開発しないでも住民が生きていけるやり方を模索しているところだそうです。でも今までの活動が実ってこのあいだ、カナダの鉱山会社が撤退したそうです。

今回の旅はツアーなのですが、舗装されていない森の道を荷物を背負って歩くので、バックパックで来てくださいと言われました。バックパックで2週間の旅というのは、学生の時以来です。だいじょうぶかな?
バスに乗って、それから軽トラックをチャーターしていって、それから1時間半ぐらい歩いて、その村に着くそうです。水道はないので、シャンプーなどは自然に流してもいいものを持ってきてください、ということで、電気もないところもあるそうです。

楽しみだな!

ギターを持っていきたいと思ったのだけど、鞄にいれられないし、悩み中です。

勝手ですみませんが、みなさんもどうぞ元気でお過ごしください。

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佃島盆踊り

佃島盆踊り

東京では今ごろがお盆です。
5年前から毎年、佃島というところの盆踊りに行ってるのですが、今年も行ってきました!

この盆踊りは1680年から続いている昔ながらの盆踊りだそうです。東京では、幕府の治安政策のため盆踊りが禁止されていて、この佃島の盆踊りが東京では唯一残っている昔ながらの盆踊りだそうです。

私たちが行ったら、ちょうど子どもたちが踊り終わったところで、アナウンサー役のおじさんが、「みんな、踊る前に無縁さまにはお参りしたかな? まだしてない人はお参りしといてね」と言ってました。踊りやぐらのむこうに無縁仏の祠があるのです。後できいたところによると、この盆踊りは、「盆踊りじゃなくて念仏踊り」と地元の人は言ったりしているようで、昔から水難にあった人、それから関東大震災と東京空襲の無縁仏の霊を慰めるために、毎年踊られてきたそうです。佃島は、佃島自体は震災の被害も少なくて、また空襲も受けなかったそうなのですが、震災のときも空襲のときも、むこう岸から川岸にたくさんの遺体が流されてきて、それを佃島の人がひきあげてまつっていたということです。

今日行ったら、踊りやぐらの上には男の人がひとり、太鼓を叩きながら自分で歌っていました。自分で叩く太鼓以外、伴奏はありません。歌は単純な節にあわせて、でも歌っている言葉は昔のいいまわしなのか、聞き取ることはむずかしかったです。1番から8番までぐらいはあったようです。

そのまわりを、ゆったりとしたリズムで踊っている人たちがいて、最初は、少ない人数だったのですが、つづけるうちにだんだん輪が大きくなって、最後は、残って見ている人のほうが少ないぐらいになっていました。私たちも、「邪魔になることはないですから」と言われ、参加させてもらいました。   
観せるための踊りでも、騒ぐための踊りでもない、という踊りという感じで、今の感じにはあまりない感じで、なんだかよかったです。子どもたちの時間は終わって、遊びに行ったり家に帰っている子も多いようでしたが、最後まで輪に残っている子どもたちもいました。この子たちが大人になったときもきっとこの踊りは続いているんだろうな、なんて思いました。

終わって、無縁仏のところにいったら、山ほどの野菜とくずもちとお花が捧げられていて、熱心にお参りする人の列がありました。

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とここまでは、2004年に最初に行ったときの日記からです。

今年もだいたい同じだったのですが、今年は子ども盆踊りの時間に間に合うことができました。最初はぽつりぽつりとしか子どもがいなかったのですが、あれよあれよという間にどんどん輪がふくらんで、最後には隙間もないくらい子どもたちでいっぱいになりました。ゆかたの子も多く、下駄を履いてる男の子もいます。楽しそうにおしゃべりしたり、たまにお互いつつきあったりもしながらも、基本的にみんな熱心に踊っていて、みんな踊りが好きそうです。振り付けも簡単で動きもゆっくりなので覚えやすいのもあるけど、ずっと同じことを1時間以上やっているのに飽きてる子どももいなさそうです。

「どらえもん音頭じゃこんなに盛り上がらないよー」と、相方が言ったけど、やっぱり子どもだましじゃないほうがかっこいいし、意味があることが子どもだってわかるんだろうな。

歌の合間合間に踊り手が”ヤーットセー ヨーイヤラー コラショ”と合いの手を入れるのですが、子どもたちの合いの手がそれはそれは元気でした。

子どもたちが帰った後、大人の踊りの時間になったので、私たちも踊りました。子どもたちが踊った後だったので、シャイになったりせずにすぐに踊りの輪に入ることができました。合いの手も大きな声でいれながら、踊りました。

——

毎年、歌を歌ってくれるおじいさんがいるのですが、年々歌が調子っぱずれに、ちょっとへろへろになってきていて、なんだかユーモラスで、ちょっと心配です。

子ども盆踊りの時間に、太鼓は男性がやぐらの上で叩いていたのですが、歌が生じゃなくテープだったので、「えー、おじさん死んじゃったのかな?」と、相方が心配していましたが、大人の時間になったら元気に出てきてくれました。

そのテープの歌声も、同じおじさんの若いころの声でしたが、すごくいい声で、今と違ってと言ったら失礼だけど、上手い歌い手です。

おじさんの歌は味があるので大好きなんだけど、後継者育てなくて大丈夫なのかな? 踊りのほうの後継者は山ほど育っているので大丈夫だけど。

——

踊りの場所は、広場ともいえない、土手の下の行き止まりのコンクリートの道の一角にやぐらを立てて、そこが踊りの場所でした。道だから長細くなっちゃうんだけど、長~い楕円というか、長四角になってみんなで踊りました。まわりは昔ながらのお家や商店がいくつかあり、狭い敷地の庭にすごく古そうな松の木が植わっていたりしました。

震災でも空襲でも焼けなかった佃島の古い町も、じわじわと再開発されていて、まわりには高層ビルもいっぱいです。だけど夕暮れ時にビルのドアの前でのんびり座って煙草吸ってるおじいさんがいたり、散歩しているお年寄りがいて、知り合いにあって挨拶をかわしていたり、なんだか人の雰囲気が昔ながらの感じなんです。

今日踊っていた子どもたちも、もしかしたら高層ビルに住んでる子どもたちも多いのかもしれない。でも街の景色は変わっても、スピリットは受け継がれるということは可能なのかもしれません。なんてことを考えました。

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雨の中の高尾山

雨の中の高尾山

飯塚真紀さんのスローフラメンコ・ワークショップ、とてもよかったです!

それについても書きたいのだけど、
その前に高尾山のことを、また書いておきたくなりました。
(スローフラメンコについてはちょっと待ってくださいね。)

このあいだの夏至の日に、去年日記にも書いたエコラボキャンプでもお世話になった、虔十の会の坂田さんが案内をしてくれる、高尾山のお散歩のミニイベントがあって、行ってきました。

私は高尾山のこともそうだけど、この坂田さんという女性のことが気になっていたのです。
高尾山をトンネル計画から守る活動をしている人で、高尾山の状況が大変ななか、キャンプとか座り込み(←ヨガとかコンサートとかしながらの)とか、いろいろな活動を支えている人なのだけど、なんだか明るくてポジティブで、でもそのポジティブさが、から元気という感じではなくて、きっと、すごく遠くを見据えているからこその、目先にふりまわされないポジティブさがあるんだろうな、という印象を受けたのです。
(個人的にお話したことがあるわけではないのだけれど、なんだかとてもそんな気がしたのです。)

その坂田さんが高尾山を案内してくれるお散歩ということで、行ってきました。
高尾駅からバスで、裏高尾の日影沢というところに行って、そこのキャンプ場入口から出発です。
ちょうど着いたころに、雨がかなり降ってきました。
私はレインコートを着ていたし、ほかの参加者もレインコートの人が多かったのだけど、坂田さんはふつうのTシャツとズボン姿というラフな格好でした。

沢の水かさは雨で増えていたけど、とても澄んでいました。
高尾の山自体から水が湧き出しているのと、シャガという草たちが、土手の土を押さえていてくれているから、水がにごらないのだそうです。

高尾山の水は15年ものだそうです。
15年間、山の中を流れて、沢になるそうです。
それだけ水をふくんだ山の森があるから、それが蒸発して雨になる・・・
そう考えると、雨が降るのと、森があるのと、どちらが先かわからない、
循環しているのです。

その沢を飛び越えて(靴に水がばしゃっとかかったけど、それも楽しい!)道の向こう岸に渡り、道から外れてのお散歩です。

大きな岩の上を覆った、雨でふかふかになった苔をさわり、朽ちかけた木の幹の中の穴に、あたらしく、さらさらな土ができているのをさわりました。
そのなかに、小指の爪ほどの長さの、ほそーいミミズの赤ちゃんも、いました。

木は何百年か経つと、時間をかけて朽ちていく。木が朽ちていくことによって、きのこが生えて、きのこが木の成分を分解して、土に戻す。。。

山には人間の時間とはまったくちがう時間が流れている、
と坂田さんが言ってました。

まっすぐ歩いたら10分もかからないくらいの距離を、1時間ちょっとかけて、寄り道しながら、思いっきり五感で味わったお散歩でした。ゆたかな時間。

坂田さんに、山のことは独学で勉強したんですか?と聞いたら、
「そう。高尾山に教わったの」と言ってました。
ほんとに高尾山を愛していて、高尾山に生かされている人なんだなと思いました。
でも私も、高尾山から帰って、その日は寒くてちょっと疲れが出たけど、
次の日はなんだかいつになく元気が出て、ああ、山から英気をもらったんだな、と、思いました。
また気軽に来たいです。元気をもらいに。

でもトンネルの工事は進んでいて、太い穴を2本、掘り始めています。工事現場の近くのトラスト地にも、このあいだ行ってきましたが、痛ましかったです。(コンクリの穴の外壁が緑に塗られていたのは、「景観を損ねないために」だとかいう噂。意味ないんじゃ?)

そのトンネルのおかげで、沢の水が山にしみこめなくなって、沢のうちの1本は、上流には水がたくさんあるのに途中で流れてしまって下流まで届かず、下流が枯れてしまっている状態に、すでになってしまっているそうです。

新しい道路を作るにしろ、山にトンネルを掘らなくても、ちょっと迂回すればいいはず。
一度決めたこと計画を変更するのは大変なことなのか?
そうなのかもしれないけど、でも、こんなすてきな山をうしなうことを考えたら、今からでも考え直してほしいです。
今ならまだ間に合うと思う。

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