ジュリアンのギターと、コンストラクティブ・レスト

ジュリアンのギターと、コンストラクティブ・レスト

最近、仕事もちょっと忙しいのだけれど、コンサートなど楽しいことの予定も、なぜか続いています。

きのうは、私がときどき行っているボストンのアレクサンダー・テクニークの学校のトレーニング生でギタリストの人がいるのですが、そのジュリアン・レイジがコンサートのために来日していて、彼のコンサートに行ってきました。

私はボストンに行ったとき、ジュリアンにもワークの生徒さんになってもらったりしていました。そのときは、私のほうが生徒さん役になってもらってありがたいのに、中華料理をおごってくれたりしました。とても人懐っこく親切な青年で、私が異国で心細く感じていたときの一番の清涼剤になってくれた人かも。
おいしいものとか、いい香りのするものが大好きな人です。

私がクラスにギターを持っていったとき、私のギターを見て、「ちょっと弦高が高いから、ハイポジションが弾きにくいんじゃない? サドルを削ってもらうといいかもね」
と言ってくれたのだけど、その後、弾いてみて、と言って弾いてくれたら、同じギターとは思えないほどいい音がしました。
弾きにくいはずのハイポジションの音もとてもきれいな音がしました。

クラスで弾いてくれたとき、さすが上手いし、たのしそうに弾く人だな、すてきだな、と思ったのですが、きのう、ライブを観て、あらためてすごいと思いました。

ピアニストのテイラー(10代の頃から一緒にやっている仲間だそうです)とのデュオで、ジャズをベースに、自らが作曲した曲を演奏してくれました。

曲は、リズムもコードもどんどん移り変わる、結構複雑な曲が多かったです。急に止まったり、急にはじまったり、緩急の変化するリズムなのに、(ジャズだから当然かもしれませんが)指揮者もなく、ピアニストとの息がぴったりあっています。

そして、まるで準備しないで弾いているように、即興のように聞こえるのです。その場で起こっていることをそのまま音にしているかのようです。

そんな音楽を、ときおり、にこっと笑ったりしながら、自然体でラクそうに、そして楽しそうに演奏しています。そういう意味では、クラスで5、6人の前で弾いてくれたときとまったく変わらず、そこがまた、いいんだよね。

いい時間でした。

—–

コンサート会場でジュリアンのCDを買ったら、曲目が、なんだかアレクサンダーっぽいような。。

“clarity”(明晰さ)
“all purpose beginning”(すべての目的がはじまる所)
“familiar posture “(慣れ親しんだ姿勢)
“constructive rest”(建設的な休息)
などなど。。

“constructive rest” というのは、ひざをたてて仰向けになって休むことをアレクサンダー・テクニークでするのですが、それを人によってconstructive restと呼ぶのです。

ジュリアンのライブの案内文を読むと、
「かつて神童と呼ばれ、圧倒的な実力で天才の名をほしいままにする」
なんて。。(そんなにすごい人だったんだなあ。)
でも、きのう聞いてあらためて、たしかに、と納得。

子どもの頃からギターが上手くて、ギターと相思相愛の人が、
アレクサンダー・テクニークを使うことで、その新鮮さをずっと持ち続けて、それを深めていけるんなら、すてきだな。

と、アレクサンダー・テクニーク関係者としては、思ったりしました。

—–

CDに書いてあるジュリアンのコメントがいい。

「僕は音楽を自分がコントロールできる領域のものではなく、自然界の延長として捉えている。それに音楽が僕の一番偉大な教師でもあるんだ。音楽を通じて学んだことは、ダイナミックで感銘を与えてくれる人と人との関係性だ。この豊かな環境の一部になれたことに深く感謝しているし、僕が人間的にも音楽的にも成長するにつれて、目の前に現れるべく待っていてくれているものを楽しみにしているんだ。」

でも、この音楽は、やっぱりCDではなく生がいいな。
彼の弾いている姿を見ながら聴けたのが、よかった!

今日と明日も、彼の公演はあります。

Taylor Eigsti / Julian Lage Duo

http://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/409.html

東京駅の近くにある、ちょっとおしゃれなジャズ・バーでやっています。
席に座ってご飯を食べたりお酒を飲みながら観る形式で、デートにもお勧めです。(ただ、食べ物と飲み物は、結構高いので気をつけて)。
こじんまりとしているので、どの席でも見やすいです。

7時からの回と、9時半からの回と、総入れ替え制。
(1回行けば両方のステージを観られるのかと思っていたらちがっていた)

—–

しかし東京の丸の内があんなに近未来的なことになっているとは知らなかった。そして、お店に入ると何もかも高いし。
ジュリアン達は公演が終わった翌日にはもう帰るそうだけど、これが日本なんだ、と思ってしまうのかな?

(もっと、ゆっくりしていければよかったのに。
うちにも来てほしかったな。なんて。)

Share Button
春ですね。ことしもよろしくお願いいたします。

春ですね。ことしもよろしくお願いいたします。

 ◆◆◆ littlesounds ニュース ◆◆◆
     2009.2.4  石井 ゆりこ

新年が明けて、旧暦の新年も先週に明けて、きのうの節分を過ぎ、立春になりました。春の訪れが、いろんなところで感じられますでしょうか? 外を歩くのが楽しみです。

私は西暦の新年も、いっせいに会社や仕事場がお休みになって町が静かになるのが好きですが、旧暦の新年も、より季節の動きを感じられる気がして好きです。

今年もアレクサンダー・テクニークのレッスンや、またはその他のところでも、みなさんといろいろな出会いができればうれしいです。

いろいろな世の中の動きがある今日このごろですが、それぞれの人が、自分自身のもつ力を信頼して、また自分の感覚を信頼してそれを研ぎ澄ませて生きていけるために、アレクサンダー・テクニークを使ったり(ほかのものでも、いいと思うけれど)しながら、元気に生きていけたらいいなと思います。いらないものは削ぎ落として、自分の中を充実させて、いろいろなことを味わいながら、元気に生きていけたらいいなと思います。

☆.。.:*・°

旧暦では今年は5月に閏月が入る関係で、春は短く夏が長いそうです。いまから4月25日まで春で、それから梅雨、夏となって、暦のうえでは8月20日までが夏、でも本格的な秋の入りは9月19日ごろからだそうです。(旧暦メールマガジン「カランドリエ」からの情報です。)それぞれの季節を思いきり味わって暮らしたいですね。

☆.。.:*・°

アレクサンダー・テクニークのレッスンは随時受け付けております。しばらく間を空けておられた方も、ふと気になるときがあったら、お気軽にご連絡をお待ちしています。
http://www.littlesounds.com/lesson_p/index.htm

ワークショップのほうも、問合せを何人かの方からいただいているので、折を見て再開したいと思っています。もう少しお待ちくださいませ。

その他、みなさんの近況報告なども、お待ちしております。

では、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

———
石井ゆりこ
アレクサンダーテクニーク千石教室・玉川学園教室
yuriko@littlesounds.com
http://www.littlesounds.com

Share Button
エクアドルから帰ってきました。

エクアドルから帰ってきました。

エクアドルから帰ってきました。

いろいろあって、どこから報告したらいいかわからないので、
とりあえず思いつくことを箇条書きにしてみました。

・ガタガタ道を古いバスや、トラックの荷台にゆられていった時間のこと
・一面の緑と、その中を歩く人や牛や馬と、日干し煉瓦の家々
・インタグは山奥で辺鄙なところなのに、人々が老若男女、元気だったところ
 山の中にもしっかり生活があるところ
・インタグの新聞社やラジオ局、おもちゃみたいに古い資材をリユースで使って、必要な情報を伝えようとがんばっていたところ
・AACRI(アアクリ)のコーヒー工場がこじんまりとかわいいところだったこと、そこでがんばっている人々のこと

・カルロス家でのろうそくの光と、夜の闇の深さ
・カルロス家での、『モチモチの木』みたいなあふれる星くずのこと
・カルロス家の、自家製コンポストトイレの気持ちよさ
・カルロス家から行った原生林の、植物たちの生命力と、日本の森との生態系のちがいについて(亜熱帯の森は成長が早い!)

・カブヤ編みの女性達の話を聞いて、直接作品を買えたこと
・カブヤ編みの女性達と、日本に輸入をしているアミさんとアヤさんが、じっくり協力しあい話し合いながら納品作業をしていたこと

・エル・ミラグロまで行く道の水と森の豊かさ
・エル・ミラグロの手作りの家のすてきさ、窓からハチドリが入ってくること
・森林農法のコーヒー摘みがたのしかったこと
・エル・ミラグロの管理を担っているルイスとメルセデスのほほえましい人柄

・中村さん(有機コーヒー社長)が、エクアドルのいろんな人と話すとき、代表的な人物だけでなく、縁の下の力持ち的な人や、若い人などにも、かならず声をかけること
・そういう人の名前を全部覚えて、スピーチのときに名前を言うところ
・中村さんがいろんな立場の人にどういう質問をするかについて(長い目を見据えたような質問がたくさんあった気がした)
・中村さんが、参加者の私たちひとりひとりのことも、向こうの人に名前を出して紹介してくれたこと
・中村さんが、子どもたちの名前に日本語の漢字をつけてあげて、人気者になっていたこと
・参加者で夜ビールを飲みながら語り合ったこと(ツアーの話、本や映画の話)

・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんのすごさ
・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんが、3歳の娘ムユちゃんをだっこしたり肩車したりしながら仕事する姿 
(ムユちゃんに話しかけられたら、それにちゃんと答えてから仕事に戻るところ。
仕事と生活のきりはなせなさについて。)
・そういう働くお母さんの姿勢は、エクアドルの人たちにはけっこうあたりまえらしいこと。

・ワダアヤさん一家がつくったクリキンディの手作りの建物や、五右衛門風呂や、畑や動物たちのこと
・働き者のだんなさんのエクトルの人柄
・ムユちゃんのかわいさ(ポニョにそっくり!)

・ワダアヤさん一家が住む地域で、先住民(キチュア)の人々と交流できたこと
・みんなと同じ釜のごはん(お芋と豆中心のシンプルごはん)を食べたこと
・子どもたちと遊んだ時間
・キチュアの人の黒髪、男性の三つ編みのすてきさのこと
・キチュアの人がみんなはいてるカブヤのサンダル編みの現場を見せてもらったこと
・小学校での織物クラスでの子どもたちの楽しそうだったこと
 木製の織物機械がうつくしかったこと

・どこに行っても(どんな田舎でも)ギターを持って歌を歌う人が出てきて歓待してくれたこと
・それはだいたい同じリズムで、同じメロディーで、それにいろんな歌詞をつけているらしいこと
・カルロスさんは李白の詩に曲をつけて歌ってくれたこと
 私もギターを借りて歌えたこと

Share Button
2週間ほど旅に出ます

2週間ほど旅に出ます

本日9月24日から10月6日まで、旅に出ます。インターネットも見られなくなるのですみませんが、お返事は帰ってからさせていただきますね。

今回は、地球の反対側の、南米のエクアドルの森に行ってまいります。赤道直下だけど標高が高いので涼しいそうです。そこの、「雲霧林」という珍しい生態系の森で、森林農法(ほかのいろいろな木と一緒に農作物を植えることで、原生林と同じような生態系を保てるし、農作物も有機で育てられる)という方法でコーヒーを作っている人たちがいて、その人たちを訪ねてきます。)

そこの美しい土地には、銅山の開発の計画が10年以上も前から持ち上がっていて、開発しないでも住民が生きていけるやり方を模索しているところだそうです。でも今までの活動が実ってこのあいだ、カナダの鉱山会社が撤退したそうです。

今回の旅はツアーなのですが、舗装されていない森の道を荷物を背負って歩くので、バックパックで来てくださいと言われました。バックパックで2週間の旅というのは、学生の時以来です。だいじょうぶかな?
バスに乗って、それから軽トラックをチャーターしていって、それから1時間半ぐらい歩いて、その村に着くそうです。水道はないので、シャンプーなどは自然に流してもいいものを持ってきてください、ということで、電気もないところもあるそうです。

楽しみだな!

ギターを持っていきたいと思ったのだけど、鞄にいれられないし、悩み中です。

勝手ですみませんが、みなさんもどうぞ元気でお過ごしください。

Share Button
佃島盆踊り

佃島盆踊り

東京では今ごろがお盆です。
5年前から毎年、佃島というところの盆踊りに行ってるのですが、今年も行ってきました!

この盆踊りは1680年から続いている昔ながらの盆踊りだそうです。東京では、幕府の治安政策のため盆踊りが禁止されていて、この佃島の盆踊りが東京では唯一残っている昔ながらの盆踊りだそうです。

私たちが行ったら、ちょうど子どもたちが踊り終わったところで、アナウンサー役のおじさんが、「みんな、踊る前に無縁さまにはお参りしたかな? まだしてない人はお参りしといてね」と言ってました。踊りやぐらのむこうに無縁仏の祠があるのです。後できいたところによると、この盆踊りは、「盆踊りじゃなくて念仏踊り」と地元の人は言ったりしているようで、昔から水難にあった人、それから関東大震災と東京空襲の無縁仏の霊を慰めるために、毎年踊られてきたそうです。佃島は、佃島自体は震災の被害も少なくて、また空襲も受けなかったそうなのですが、震災のときも空襲のときも、むこう岸から川岸にたくさんの遺体が流されてきて、それを佃島の人がひきあげてまつっていたということです。

今日行ったら、踊りやぐらの上には男の人がひとり、太鼓を叩きながら自分で歌っていました。自分で叩く太鼓以外、伴奏はありません。歌は単純な節にあわせて、でも歌っている言葉は昔のいいまわしなのか、聞き取ることはむずかしかったです。1番から8番までぐらいはあったようです。

そのまわりを、ゆったりとしたリズムで踊っている人たちがいて、最初は、少ない人数だったのですが、つづけるうちにだんだん輪が大きくなって、最後は、残って見ている人のほうが少ないぐらいになっていました。私たちも、「邪魔になることはないですから」と言われ、参加させてもらいました。   
観せるための踊りでも、騒ぐための踊りでもない、という踊りという感じで、今の感じにはあまりない感じで、なんだかよかったです。子どもたちの時間は終わって、遊びに行ったり家に帰っている子も多いようでしたが、最後まで輪に残っている子どもたちもいました。この子たちが大人になったときもきっとこの踊りは続いているんだろうな、なんて思いました。

終わって、無縁仏のところにいったら、山ほどの野菜とくずもちとお花が捧げられていて、熱心にお参りする人の列がありました。

—–

とここまでは、2004年に最初に行ったときの日記からです。

今年もだいたい同じだったのですが、今年は子ども盆踊りの時間に間に合うことができました。最初はぽつりぽつりとしか子どもがいなかったのですが、あれよあれよという間にどんどん輪がふくらんで、最後には隙間もないくらい子どもたちでいっぱいになりました。ゆかたの子も多く、下駄を履いてる男の子もいます。楽しそうにおしゃべりしたり、たまにお互いつつきあったりもしながらも、基本的にみんな熱心に踊っていて、みんな踊りが好きそうです。振り付けも簡単で動きもゆっくりなので覚えやすいのもあるけど、ずっと同じことを1時間以上やっているのに飽きてる子どももいなさそうです。

「どらえもん音頭じゃこんなに盛り上がらないよー」と、相方が言ったけど、やっぱり子どもだましじゃないほうがかっこいいし、意味があることが子どもだってわかるんだろうな。

歌の合間合間に踊り手が”ヤーットセー ヨーイヤラー コラショ”と合いの手を入れるのですが、子どもたちの合いの手がそれはそれは元気でした。

子どもたちが帰った後、大人の踊りの時間になったので、私たちも踊りました。子どもたちが踊った後だったので、シャイになったりせずにすぐに踊りの輪に入ることができました。合いの手も大きな声でいれながら、踊りました。

——

毎年、歌を歌ってくれるおじいさんがいるのですが、年々歌が調子っぱずれに、ちょっとへろへろになってきていて、なんだかユーモラスで、ちょっと心配です。

子ども盆踊りの時間に、太鼓は男性がやぐらの上で叩いていたのですが、歌が生じゃなくテープだったので、「えー、おじさん死んじゃったのかな?」と、相方が心配していましたが、大人の時間になったら元気に出てきてくれました。

そのテープの歌声も、同じおじさんの若いころの声でしたが、すごくいい声で、今と違ってと言ったら失礼だけど、上手い歌い手です。

おじさんの歌は味があるので大好きなんだけど、後継者育てなくて大丈夫なのかな? 踊りのほうの後継者は山ほど育っているので大丈夫だけど。

——

踊りの場所は、広場ともいえない、土手の下の行き止まりのコンクリートの道の一角にやぐらを立てて、そこが踊りの場所でした。道だから長細くなっちゃうんだけど、長~い楕円というか、長四角になってみんなで踊りました。まわりは昔ながらのお家や商店がいくつかあり、狭い敷地の庭にすごく古そうな松の木が植わっていたりしました。

震災でも空襲でも焼けなかった佃島の古い町も、じわじわと再開発されていて、まわりには高層ビルもいっぱいです。だけど夕暮れ時にビルのドアの前でのんびり座って煙草吸ってるおじいさんがいたり、散歩しているお年寄りがいて、知り合いにあって挨拶をかわしていたり、なんだか人の雰囲気が昔ながらの感じなんです。

今日踊っていた子どもたちも、もしかしたら高層ビルに住んでる子どもたちも多いのかもしれない。でも街の景色は変わっても、スピリットは受け継がれるということは可能なのかもしれません。なんてことを考えました。

Share Button