「『自分をぜんぶ肯定する』秘訣が、身体を観察する行為にあるって感じました」

「『自分をぜんぶ肯定する』秘訣が、身体を観察する行為にあるって感じました」

ワークショップや出張レッスンをしたら、ブログでもご報告をしたいなと思いつつ、いつもすぐに時間が経ってしまい、なかなかできないでいます。
そんななか、上越でのアレクサンダー・テクニークの個人レッスンのほうに参加してくださった方がご感想を書いてくださり、シェアを快諾してくださったので、載せさせていただきます。

もう2、3週間経つけれど、石井ゆりこ先生のアレクサンダーテクニークの個人レッスンを受けたんですが、素晴らしい体験でした。

わたし感動のあまり泣きました(笑)
うまく言葉にできる自信がなくて書けずにいたんですが…
発見と感動の40分だったのです。

まずどれだけ日頃、がんばっていたんだろーかと感じられて。

「目で見る」とかがんばる必要ないことすらがんばってたわぁ…とびっくりしてしまいました。

コントロールできないもの、する必要ないものを自分一人でなんとかしようと抵抗しすぎていたんだって思いました。
怖がりなわたし、それだけ不安で怯えていたんだなとも気づけて、そんな自分が愛おしく思えたり。

例えば「見る」のは私が自力で見てるんじゃなくて、瞼を開くと景色を網膜が捉えて脳内に映像が映ってるわけで、なんもがんばらなくても身体が見せてくれてる。(先生が丁寧に実況してくれるのです)

動作ひとつひとつも、重力と地面がなければ成り立たなくて、身体ひとつの力じゃない。

座るとき、手を動かすときも、地面、重力、骨、筋肉がぜんぶ連動して、私の意思を叶えてくれている❗

なのに、自分ひとりでやってるって思い込みすぎてる〜
こんなに身体にサポートされてるのに〜

と、身体に対して頼もしさと安心感を感じたのと

なんもしなくても感じることができる、感じるために必要なものがもうぜーんぶ用意されている…と感謝と感動がじわ〜っと湧いてきて…泣けた😂

身体の中に、ただいる。いて、世界を見つめてるっていうニュートラルな状態に気づける。

自分でなんとかできる、コントロールができることも、生きる魅力のひとつだけど同じくらい、感じることも大切で。
私は意識がコントロールする側に傾いていて、委ねて感じることを疎かにしがちだったから、欠けていた視点を思い出せたことが嬉しかったんだと思う。

ゆりこ先生の誘導も素晴らしくて。
先生のアナウンスで、身体をありのままに観察する視点に持ってける。
自然としての身体に対する信頼とリスペクトを肌で感じて、それにも感動して、自然と涙が出ました。
プロフェッショナルやわ〜

「骨盤の上に背骨が乗っていて、首があって、首は上下左右好きな方向へ動かせて…」

「歩くとき、骨盤の上に乗った背骨、頭蓋骨も一緒に歩くことができる…」

身体を、パートナーとして捉え直し、骨格を中心に丁寧に観察することで、なんてことない当たり前の日常動作が一気に楽になるのがすごーく面白い!
身体を客観的に見直すだけで、身体も心も深いところからワクワクして嬉しくて嬉しくてふるえた…。

身体って、骨格ってものすごく緻密にデザインされてんだなーと惚れ惚れして、人知を超えた美しさにも感動しきり…。

身体をつぶさに観察するのがこんなに楽しいって知らなかった!とアホみたいに、身体が動くってことが面白くてしかたなかったり。

書きながらやぱりまとまらないんだけど💦

身体の神秘にたくさん出会えました。

ゆりこ先生の「身体にはいろいろな可能性があるんです。」って言葉がよかったなー。
先生から生まれる言葉ひとつひとつも、長い間身体を見つめてこられた実感と慈愛がこもっていて詩的で音楽的な響きがあって癒された…。

身体を知っていくっておもしろーい!!
「自分をぜんぶ肯定する」秘訣が、身体を観察する行為にあるって感じました😍

ゆりこ先生、主催の真紀子さんありがとうございました!

R.M.さん (上越市、画家、26歳、2017年12月)

こちらこそありがとうございました。
アレクサンダー・テクニークのレッスンには、同じレッスンはひとつもなく、そのときその人に起こっていること、起ころうとしていることが、現れてくるのだと思います。
R.M.さんのこれからが、楽しみですね。

また来年も、上越に行く機会を作って、R.M.さんや、みなさんと会えたらなと思っています。

こちらにもレッスンの体験談を載せています。

アレクサンダー・テクニークlittlesoundsでは、東京と神奈川で個人レッスンを、それぞれ週に3日づつ行っています。
レッスン・スケジュールとお申し込みはこちらです。地方出張もやっています。
Share Button
スムーズさや穏やかさのなかから どんな動きや表現、あるいは力が生まれてくるのかを楽しみにしてみる

スムーズさや穏やかさのなかから どんな動きや表現、あるいは力が生まれてくるのかを楽しみにしてみる

(寄せていただいたレッスンの体験談をご紹介させていただきます。)

アレクサンダー・テクニーク。
よくわからないけれど魅力的な響き。
いつかレッスンを受けてみたいと思っていた。

数年ごしではじめて経験できた。
出会った人は、石井 ゆりこさん。

僕にとってはどういう経験だったか
すこし書いてみる。

ゆり子さんにガイドしてもらいながら
自分の身体という空間の広がりを
思い出していったかんじ。

ことあるごとに、力む、縮むことが
力を発揮することだと思っている
自分の(身体と意識の)癖

固まることで、そこに力があるように
認識したがる意識の癖

みたいなものをみつけながら

身体のなかの、盲点みたいなものを
気づかせてもらいながら

自分の身体は
いつも広くていい 大きくていい
力まずに心地よくてもいい

自分だけの力で動く必要はなくて
地面からも力をもらえる

ということを思い出していく
そんな時間だった。

どこかに力みがない状態

つまり、全身に力が分散した状態
全体で全体を支えているような状態って

一カ所に明らかに負荷が
かかっているわけではないから

かえってなんか不安になってしまう
というところがある。

で、落ち着かずに
やっぱりどこかに負荷を集めて
安心する、みたいな。

でも、ある場所にある負荷を
別の場所に移したところで
結果的にアンバランスは変わらない。

局所的な負荷や緊張がないことに
なれていく。安心していく。

そのスムーズさや穏やかさのなかから
どんな動きや表現、あるいは
力が生まれてくるのかを
楽しみにしてみる

たった1時間弱のレッスンのなかで
そういう可能性をたくさん
教えてもらった経験でした。

からだのことのようであり
こころのことのようであり
人と人のことのようであり。

いま自分にとってホットなテーマは
背骨の太さを感じながら生きる。
かな。

(松井雄一郎さん 2017年)

Share Button
解剖学とアレクサンダー・テクニークと、体の感覚と認識

解剖学とアレクサンダー・テクニークと、体の感覚と認識

アレクサンダー・テクニークのレッスンに継続して来られているTさんが、感想を送ってくださいました。

アレクサンダー・テクニークのレッスンは、生徒さんの問題意識や、生徒さんのそのときの状態によって、アプローチのしかたも、結果として得られるものも、少しづつ違いますが、たとえばどんな感じなのか、多様なレッスンの一端を知る手がかりとして、ご本人の許可を得て掲載させていただきます。

 「長年、自分の身体が重くて疲れやすかったりしたので、いい年齢になって、何か手に職をつけたいと考えたとき、整体やアロママッサージの道を選びました。しかし、アレクサンダー・テクニークのレッスンを受ける前は、学校で学んだ人体の骨格や解剖学について、他人の身体を観るとわかるのですが、いざ自分自身の身体となると、肩甲骨や骨盤ががどこにあるかとか、頬やアゴはどのへんなのか…等などがまったく実感できず、わからないままでおりました。人には、ここが肩甲骨で…などと語りながら自分の身体の上では捉えられないもどかしい感覚に悶々としていたところがありました。


アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてきた現在では、自分の身体~胴体はここで、首はここ、等…を、やっと感じられるようになり、それがさらに自分自身の安定感として感じられ、嬉しく思っています。

 私のような、感覚的な悩みが、具体的な指導でもって解決されていく方法があるなんて…もっと早く出会っていたら楽に生きて来れただろうと思うと涙が滲むこともありますが、今出会えていることに感謝しなくては、とも思っています。(Tさん)

アレクサンダー・テクニークのレッスンのなかでも、体の解剖学的なこと~体についての地図(ボディ・マッピング)を扱うことがありますが、一般的な解剖学と違うのは、知的な知識だけではなくて、自分の体で認識する、ということを大事にしているところです。

図や、スケルトンモデル(骸骨人形)を使って解説することもありますが、それで終わりではなく、自分で動いてみること、触れることなどを使って総合的に、認識と感覚をつなげられることを目指しています。

その人によって、認識しやすいところもあれば、なかなか認識しづらいところもあるでしょう。感覚と認識の回路が少しづつつながり、認識できる範囲が増えたり、深まっていくと思います。それにつれて、体の動きがよりしなやかになっていったり、より生き生きと、そしてリラックスできるようになったりしていくことが多いです。

体について、頭ではわかっていたつもりだったにもかかわらず、おかしな思い込みがあったことに気づくこともあります。それは、笑ってしまうような思い込みだったりもします。「ああ、こんなふうに思いこんでいたのだな」と、気づくだけで、体や、動きが変わったりすることがあります。

Share Button
心の問題は体とひとつながり。

心の問題は体とひとつながり。

アレクサンダー・テクニークのレッスンをはじめて受けに来られたKさんが、感想を送ってくださいました。
ブログにシェアしてもいいですかとお聞きしたところ、Kさんは、「私のような一般の人に伝われば幸いだなと思います」とのこと。

確かに、たとえば音楽家のためにアレクサンダー・テクニークが役に立つということはかなり知られるようになってきましたが、それ以外の「一般の方」でもレッスンを受けて大丈夫なのか、不安に思われる方がときどきいらっしゃるようですね。もちろん、一般の方、大歓迎です。

アレクサンダー・テクニークのレッスンはどんな感じなのか、その一端を知る手がかりとして、ご本人の許可を得て掲載させていただきます。

「レッスンありがとうございました。帰り道は一段高いところから行き交う人々を見ているような感じで、視界も思考もクリアになったようでした。

また今日は知人と食事をする機会がありましたが、癖になっていたものすごい相槌が(本当に頭が痛くなるほど振りまくってました)、とてもゆっくりできました。今の自分ものすごく上品で女性らしいかも!と思うほどでした。

今まで、「人と話す時は中心軸を意識して相手に取り込まれないようにしましょう」などというアドバイスを聞いていましたが、いざ対面すると、そんなことできるわけがないという状態でした。ですが、先生に首の動かし方を一回教えていただいただけで、見事に体が覚えてくれたようでした。

今までは体の使い方を知らなかっただけなんだなぁと思いました。

また、頭の本当の動かし方を教えていただいて、疲れた時や鬱々してきた時などにゆっくり回すと、とっても頭が軽くなり、頭の中の重苦しい苦悩も消えていくのがわかりました。
「鬱の時は視野狭窄になっているので、視線をいろいろなところに向けるのがよい」、というのは知っていたのですが、首を締めながらやっても意味を成さないんだなと痛感しました。
体の使い方がわかると自分の体に愛着が湧きますね。」

註)ここでKさんは、「頭の動かし方」と書かれていますが、レッスン未体験の方のために書くと、これは、その動かし方が正しくて、そうじゃないのは間違っている、という意味ではなく、ふだんと違うふうに動かすことができること、たとえば「もっと楽に動かすことが可能だったんだ」ということを体験的に知ることによって、動きの選択肢の引き出しを増やすことができる、そこがポイントです。一見同じ動きであっても、緊張の度合いをより少なくするという選択肢が、あったりするんですね。そしてそれは選択肢なので、いつでも好きなときに選ぶことができるし、選ばない自由も、いつも、あります。
(アレクサンダー・テクニークのレッスンは、特定の動かし方を否定するようなものではないので、ご安心ください。)

自分の体に愛着が湧かれたとのこと、よかったですね!

そして、心の問題は本当に体とひとつながりだと実感します。
体という入口からアプローチすることで、無理なく変化が起こりやすいという場合はけっこうありますね。そのためのヒントを、アレクサンダー・テクニークのレッスンで持ち帰っていただけたら、何よりです。文章を読むだけでは実感するのが難しいことも、体感していただけると思います。

こちらにも、アレクサンダー・テクニーク・レッスンの体験談があります。

そもそも、アレクサンダー・テクニークとは?

石井ゆりこによる東京と神奈川・湘南でのアレクサンダー・テクニーク・個人レッスンのスケジュールはこちらです

Share Button
本番の恐ろしい緊張から脱出することができました。(高校生のヴァイオリニストの方より)

本番の恐ろしい緊張から脱出することができました。(高校生のヴァイオリニストの方より)

本番の恐ろしい緊張から脱出することができるように導いてくださり、本当にあ りがとうございました。今では「震える」ということが全くありえないこととなっ ています。

(A.Tさん ヴァイオリニスト、17歳)

Share Button