「旅日記」カテゴリーアーカイブ

札幌に来ています。

北海道庁の庭を散歩して、北海道大学植物園に来ました。

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ボストン食事事情

自炊もしようと思って、日本から食材なども持ってきたし、少しは自炊しているのだけれど、せっかくなのでけっこう外でも食べています。

ボストンはエスニック・フードが安くておいしいです。
特に学校の近くにあるレバノン料理のフード・スタンド(中でも食べられるし持ち帰りもOK)と、メキシコ料理のフード・スタンドは、クラスメートに連れて行ってもらって以来、お気に入りです。

きのうはインド料理屋さんに行きました。
インド料理はフード・スタンドはなくて、白いテーブルクロスに白いナプキンが出てくるような本格的なレストランなのだけど、ランチなら6ドル(600円)ぐらい、夜なら1000円ちょっと、プラス、チップで食べられます。

日本によくあるインド料理屋さんより油っこくなくて、おいしかったです。ぼうれんそうとじゃがいものカレーを頼みました。

このインド料理屋さんにも、前述のメキシカンやレバノンのフード・スタンドにも、
「私たちは化学調味料や保存食品は一切、使っておりません」
と、書いてありました。

食べた後、もたれなくて、お腹が喜んでいる感じで、よいです。

メキシコ料理屋さんでは、店員同士がスペイン語で大声でしゃべりあっているのも、味わい深いです。彼らが英語をしゃべると、訛っていて、

“For here?”
というのは
“フォルヒレ?”
と聞こえます。
メキシコの豆の煮込みを”フリホル”というので、最初、一瞬それのことかと思っちゃった。

チキンchickenは「チケン」と言ったら通じました。

まあ訛りに関しては私はぜんぜん人のことは言えなくて、
けっこう通じないことが多いのが悩みなのですが。

んー、というより、声が小さくて通じていないのかも?
大きい声を出すようにがんばらなくっちゃ。

とにかく、私は中学生の頃、少しメキシコに住んでいたので、メキシコ料理が食べられるのはうれしいです!
アメリカ人に合うように、ヴェジタリアンメニューがあったり、おかずを全部一緒くたにして包んじゃうブリートスというのがあったり、少しアレンジはされているけど、おいしいです。

5ドルぐらい(500円ぐらい)で、おいしく、お腹いっぱい食べられます。

今日はスペイン語で頼んでみました。
通じてうれしかった。

—–

マクドナルドとかのファーストフードもあるし、サンドイッチとかも売っているけれど、こういうエスニックどころのほうが満足感があるわりにお得な気がします。もちろん、好みだけど。

結構、普通のアメリカの庶民は、ケンタッキーとかで買うことが多いように見えます。やっぱり、それがある意味、伝統なのかな。

あと、意外とサンドイッチが高いのよね。おいしいんだけど。

同じ値段払うなら作りたてのあたたかいものが食べたい私です。

—–

snappy sushi

おとといは、クラスメートが、ボストンの中心地でヨガクラスをやっているので、それに出た後、おすし屋さんに行きました。
行列していて、10分ぐらい待ちました。

独創的なアメリカのお寿司。でもおいしかった。玄米のお寿司でした。海草サラダもおいしかったです。

“snappy sushi”という名のおすし屋さん。
板前さんは日本人じゃないみたいでした。

スパイシー・サーモン・ロールという、わさびの辛さじゃなくて唐辛子の辛さ!のお寿司も食べました。
はじめて食べる味だけど、おいしかったです。(お寿司とは別物と思えば)。

スペシャル・サーモン・アボガド・ロールというのは更に画期的でした。(→写真)。
ほのかにオイリーで、じゃじゃーん!!という感じ。

specialsalmon

ここでは、お腹いっぱい食べて(なんせ玄米だから)、2000円ぐらいでした。

興味深かったのは、ミソ・スープ(お味噌汁)を頼んだら、お寿司が出てくる前に一番最初に出てきて、だいたい飲み終わってはじめてお寿司が出てきたことでした。

私はやっぱり後でも飲みたいので、後まで残しておいてもらっちゃいました。

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きのう、葉山にて

86dfd89f.JPG海の向こうに富士山と夕日が!
なんだか神々しかったです。

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エクアドルから帰ってきました。

エクアドルから帰ってきました。

いろいろあって、どこから報告したらいいかわからないので、
とりあえず思いつくことを箇条書きにしてみました。

・ガタガタ道を古いバスや、トラックの荷台にゆられていった時間のこと
・一面の緑と、その中を歩く人や牛や馬と、日干し煉瓦の家々
・インタグは山奥で辺鄙なところなのに、人々が老若男女、元気だったところ
 山の中にもしっかり生活があるところ
・インタグの新聞社やラジオ局、おもちゃみたいに古い資材をリユースで使って、必要な情報を伝えようとがんばっていたところ
・AACRI(アアクリ)のコーヒー工場がこじんまりとかわいいところだったこと、そこでがんばっている人々のこと

・カルロス家でのろうそくの光と、夜の闇の深さ
・カルロス家での、『モチモチの木』みたいなあふれる星くずのこと
・カルロス家の、自家製コンポストトイレの気持ちよさ
・カルロス家から行った原生林の、植物たちの生命力と、日本の森との生態系のちがいについて(亜熱帯の森は成長が早い!)

・カブヤ編みの女性達の話を聞いて、直接作品を買えたこと
・カブヤ編みの女性達と、日本に輸入をしているアミさんとアヤさんが、じっくり協力しあい話し合いながら納品作業をしていたこと

・エル・ミラグロまで行く道の水と森の豊かさ
・エル・ミラグロの手作りの家のすてきさ、窓からハチドリが入ってくること
・森林農法のコーヒー摘みがたのしかったこと
・エル・ミラグロの管理を担っているルイスとメルセデスのほほえましい人柄

・中村さん(有機コーヒー社長)が、エクアドルのいろんな人と話すとき、代表的な人物だけでなく、縁の下の力持ち的な人や、若い人などにも、かならず声をかけること
・そういう人の名前を全部覚えて、スピーチのときに名前を言うところ
・中村さんがいろんな立場の人にどういう質問をするかについて(長い目を見据えたような質問がたくさんあった気がした)
・中村さんが、参加者の私たちひとりひとりのことも、向こうの人に名前を出して紹介してくれたこと
・中村さんが、子どもたちの名前に日本語の漢字をつけてあげて、人気者になっていたこと
・参加者で夜ビールを飲みながら語り合ったこと(ツアーの話、本や映画の話)

・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんのすごさ
・コーディネーター兼通訳のワダアヤさんが、3歳の娘ムユちゃんをだっこしたり肩車したりしながら仕事する姿 
(ムユちゃんに話しかけられたら、それにちゃんと答えてから仕事に戻るところ。
仕事と生活のきりはなせなさについて。)
・そういう働くお母さんの姿勢は、エクアドルの人たちにはけっこうあたりまえらしいこと。

・ワダアヤさん一家がつくったクリキンディの手作りの建物や、五右衛門風呂や、畑や動物たちのこと
・働き者のだんなさんのエクトルの人柄
・ムユちゃんのかわいさ(ポニョにそっくり!)

・ワダアヤさん一家が住む地域で、先住民(キチュア)の人々と交流できたこと
・みんなと同じ釜のごはん(お芋と豆中心のシンプルごはん)を食べたこと
・子どもたちと遊んだ時間
・キチュアの人の黒髪、男性の三つ編みのすてきさのこと
・キチュアの人がみんなはいてるカブヤのサンダル編みの現場を見せてもらったこと
・小学校での織物クラスでの子どもたちの楽しそうだったこと
 木製の織物機械がうつくしかったこと

・どこに行っても(どんな田舎でも)ギターを持って歌を歌う人が出てきて歓待してくれたこと
・それはだいたい同じリズムで、同じメロディーで、それにいろんな歌詞をつけているらしいこと
・カルロスさんは李白の詩に曲をつけて歌ってくれたこと
 私もギターを借りて歌えたこと

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2週間ほど旅に出ます

本日9月24日から10月6日まで、旅に出ます。インターネットも見られなくなるのですみませんが、お返事は帰ってからさせていただきますね。

今回は、地球の反対側の、南米のエクアドルの森に行ってまいります。赤道直下だけど標高が高いので涼しいそうです。そこの、「雲霧林」という珍しい生態系の森で、森林農法(ほかのいろいろな木と一緒に農作物を植えることで、原生林と同じような生態系を保てるし、農作物も有機で育てられる)という方法でコーヒーを作っている人たちがいて、その人たちを訪ねてきます。)

そこの美しい土地には、銅山の開発の計画が10年以上も前から持ち上がっていて、開発しないでも住民が生きていけるやり方を模索しているところだそうです。でも今までの活動が実ってこのあいだ、カナダの鉱山会社が撤退したそうです。

今回の旅はツアーなのですが、舗装されていない森の道を荷物を背負って歩くので、バックパックで来てくださいと言われました。バックパックで2週間の旅というのは、学生の時以来です。だいじょうぶかな?
バスに乗って、それから軽トラックをチャーターしていって、それから1時間半ぐらい歩いて、その村に着くそうです。水道はないので、シャンプーなどは自然に流してもいいものを持ってきてください、ということで、電気もないところもあるそうです。

楽しみだな!

ギターを持っていきたいと思ったのだけど、鞄にいれられないし、悩み中です。

勝手ですみませんが、みなさんもどうぞ元気でお過ごしください。

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佃島盆踊り

東京では今ごろがお盆です。
5年前から毎年、佃島というところの盆踊りに行ってるのですが、今年も行ってきました!

この盆踊りは1680年から続いている昔ながらの盆踊りだそうです。東京では、幕府の治安政策のため盆踊りが禁止されていて、この佃島の盆踊りが東京では唯一残っている昔ながらの盆踊りだそうです。

私たちが行ったら、ちょうど子どもたちが踊り終わったところで、アナウンサー役のおじさんが、「みんな、踊る前に無縁さまにはお参りしたかな? まだしてない人はお参りしといてね」と言ってました。踊りやぐらのむこうに無縁仏の祠があるのです。後できいたところによると、この盆踊りは、「盆踊りじゃなくて念仏踊り」と地元の人は言ったりしているようで、昔から水難にあった人、それから関東大震災と東京空襲の無縁仏の霊を慰めるために、毎年踊られてきたそうです。佃島は、佃島自体は震災の被害も少なくて、また空襲も受けなかったそうなのですが、震災のときも空襲のときも、むこう岸から川岸にたくさんの遺体が流されてきて、それを佃島の人がひきあげてまつっていたということです。

今日行ったら、踊りやぐらの上には男の人がひとり、太鼓を叩きながら自分で歌っていました。自分で叩く太鼓以外、伴奏はありません。歌は単純な節にあわせて、でも歌っている言葉は昔のいいまわしなのか、聞き取ることはむずかしかったです。1番から8番までぐらいはあったようです。

そのまわりを、ゆったりとしたリズムで踊っている人たちがいて、最初は、少ない人数だったのですが、つづけるうちにだんだん輪が大きくなって、最後は、残って見ている人のほうが少ないぐらいになっていました。私たちも、「邪魔になることはないですから」と言われ、参加させてもらいました。   
観せるための踊りでも、騒ぐための踊りでもない、という踊りという感じで、今の感じにはあまりない感じで、なんだかよかったです。子どもたちの時間は終わって、遊びに行ったり家に帰っている子も多いようでしたが、最後まで輪に残っている子どもたちもいました。この子たちが大人になったときもきっとこの踊りは続いているんだろうな、なんて思いました。

終わって、無縁仏のところにいったら、山ほどの野菜とくずもちとお花が捧げられていて、熱心にお参りする人の列がありました。

—–

とここまでは、2004年に最初に行ったときの日記からです。

今年もだいたい同じだったのですが、今年は子ども盆踊りの時間に間に合うことができました。最初はぽつりぽつりとしか子どもがいなかったのですが、あれよあれよという間にどんどん輪がふくらんで、最後には隙間もないくらい子どもたちでいっぱいになりました。ゆかたの子も多く、下駄を履いてる男の子もいます。楽しそうにおしゃべりしたり、たまにお互いつつきあったりもしながらも、基本的にみんな熱心に踊っていて、みんな踊りが好きそうです。振り付けも簡単で動きもゆっくりなので覚えやすいのもあるけど、ずっと同じことを1時間以上やっているのに飽きてる子どももいなさそうです。

「どらえもん音頭じゃこんなに盛り上がらないよー」と、相方が言ったけど、やっぱり子どもだましじゃないほうがかっこいいし、意味があることが子どもだってわかるんだろうな。

歌の合間合間に踊り手が”ヤーットセー ヨーイヤラー コラショ”と合いの手を入れるのですが、子どもたちの合いの手がそれはそれは元気でした。

子どもたちが帰った後、大人の踊りの時間になったので、私たちも踊りました。子どもたちが踊った後だったので、シャイになったりせずにすぐに踊りの輪に入ることができました。合いの手も大きな声でいれながら、踊りました。

——

毎年、歌を歌ってくれるおじいさんがいるのですが、年々歌が調子っぱずれに、ちょっとへろへろになってきていて、なんだかユーモラスで、ちょっと心配です。

子ども盆踊りの時間に、太鼓は男性がやぐらの上で叩いていたのですが、歌が生じゃなくテープだったので、「えー、おじさん死んじゃったのかな?」と、相方が心配していましたが、大人の時間になったら元気に出てきてくれました。

そのテープの歌声も、同じおじさんの若いころの声でしたが、すごくいい声で、今と違ってと言ったら失礼だけど、上手い歌い手です。

おじさんの歌は味があるので大好きなんだけど、後継者育てなくて大丈夫なのかな? 踊りのほうの後継者は山ほど育っているので大丈夫だけど。

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踊りの場所は、広場ともいえない、土手の下の行き止まりのコンクリートの道の一角にやぐらを立てて、そこが踊りの場所でした。道だから長細くなっちゃうんだけど、長~い楕円というか、長四角になってみんなで踊りました。まわりは昔ながらのお家や商店がいくつかあり、狭い敷地の庭にすごく古そうな松の木が植わっていたりしました。

震災でも空襲でも焼けなかった佃島の古い町も、じわじわと再開発されていて、まわりには高層ビルもいっぱいです。だけど夕暮れ時にビルのドアの前でのんびり座って煙草吸ってるおじいさんがいたり、散歩しているお年寄りがいて、知り合いにあって挨拶をかわしていたり、なんだか人の雰囲気が昔ながらの感じなんです。

今日踊っていた子どもたちも、もしかしたら高層ビルに住んでる子どもたちも多いのかもしれない。でも街の景色は変わっても、スピリットは受け継がれるということは可能なのかもしれません。なんてことを考えました。

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雨の中の高尾山

飯塚真紀さんのスローフラメンコ・ワークショップ、とてもよかったです!

それについても書きたいのだけど、
その前に高尾山のことを、また書いておきたくなりました。
(スローフラメンコについてはちょっと待ってくださいね。)

このあいだの夏至の日に、去年日記にも書いたエコラボキャンプでもお世話になった、虔十の会の坂田さんが案内をしてくれる、高尾山のお散歩のミニイベントがあって、行ってきました。

私は高尾山のこともそうだけど、この坂田さんという女性のことが気になっていたのです。
高尾山をトンネル計画から守る活動をしている人で、高尾山の状況が大変ななか、キャンプとか座り込み(←ヨガとかコンサートとかしながらの)とか、いろいろな活動を支えている人なのだけど、なんだか明るくてポジティブで、でもそのポジティブさが、から元気という感じではなくて、きっと、すごく遠くを見据えているからこその、目先にふりまわされないポジティブさがあるんだろうな、という印象を受けたのです。
(個人的にお話したことがあるわけではないのだけれど、なんだかとてもそんな気がしたのです。)

その坂田さんが高尾山を案内してくれるお散歩ということで、行ってきました。
高尾駅からバスで、裏高尾の日影沢というところに行って、そこのキャンプ場入口から出発です。
ちょうど着いたころに、雨がかなり降ってきました。
私はレインコートを着ていたし、ほかの参加者もレインコートの人が多かったのだけど、坂田さんはふつうのTシャツとズボン姿というラフな格好でした。

沢の水かさは雨で増えていたけど、とても澄んでいました。
高尾の山自体から水が湧き出しているのと、シャガという草たちが、土手の土を押さえていてくれているから、水がにごらないのだそうです。

高尾山の水は15年ものだそうです。
15年間、山の中を流れて、沢になるそうです。
それだけ水をふくんだ山の森があるから、それが蒸発して雨になる・・・
そう考えると、雨が降るのと、森があるのと、どちらが先かわからない、
循環しているのです。

その沢を飛び越えて(靴に水がばしゃっとかかったけど、それも楽しい!)道の向こう岸に渡り、道から外れてのお散歩です。

大きな岩の上を覆った、雨でふかふかになった苔をさわり、朽ちかけた木の幹の中の穴に、あたらしく、さらさらな土ができているのをさわりました。
そのなかに、小指の爪ほどの長さの、ほそーいミミズの赤ちゃんも、いました。

木は何百年か経つと、時間をかけて朽ちていく。木が朽ちていくことによって、きのこが生えて、きのこが木の成分を分解して、土に戻す。。。

山には人間の時間とはまったくちがう時間が流れている、
と坂田さんが言ってました。

まっすぐ歩いたら10分もかからないくらいの距離を、1時間ちょっとかけて、寄り道しながら、思いっきり五感で味わったお散歩でした。ゆたかな時間。

坂田さんに、山のことは独学で勉強したんですか?と聞いたら、
「そう。高尾山に教わったの」と言ってました。
ほんとに高尾山を愛していて、高尾山に生かされている人なんだなと思いました。
でも私も、高尾山から帰って、その日は寒くてちょっと疲れが出たけど、
次の日はなんだかいつになく元気が出て、ああ、山から英気をもらったんだな、と、思いました。
また気軽に来たいです。元気をもらいに。

でもトンネルの工事は進んでいて、太い穴を2本、掘り始めています。工事現場の近くのトラスト地にも、このあいだ行ってきましたが、痛ましかったです。(コンクリの穴の外壁が緑に塗られていたのは、「景観を損ねないために」だとかいう噂。意味ないんじゃ?)

そのトンネルのおかげで、沢の水が山にしみこめなくなって、沢のうちの1本は、上流には水がたくさんあるのに途中で流れてしまって下流まで届かず、下流が枯れてしまっている状態に、すでになってしまっているそうです。

新しい道路を作るにしろ、山にトンネルを掘らなくても、ちょっと迂回すればいいはず。
一度決めたこと計画を変更するのは大変なことなのか?
そうなのかもしれないけど、でも、こんなすてきな山をうしなうことを考えたら、今からでも考え直してほしいです。
今ならまだ間に合うと思う。

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高尾山

先月からなんと3回、高尾山に行ってきました。

4月1日に行ったときは2時すぎに家を出て、3時すぎにふもとに着きました。ふつうの山ならそんな時間からは登れないけれど、その日は天気がよくて明るかったので、行けるところまで行ってみようと、ロープウェイ駅の左端からはじまっている、6号道という道を歩いてみました。「沢沿いの道」というのがそそられます。

桜並木のコンクリの道をしばらく歩いてから、病院の前から左側の土の道に入ります。あ~、最近は、土の道を歩ける機会がほんとに少ないので、それだけでもうれしくなってきます。雨の後だからか、地面がしっとりとしていて気持ちよいです。
鳥の声がきこえてきて、いろんな種類の木があります。まだ春先なので、葉っぱが出てきていない木も多いけど、枝の形や生え方がさまざまで楽しいです。いろんな生え方の木があるからか、森に入っても、ぜんぜん暗くないのです。

最近知ったのですが、高尾山には1321種もの植物があって、5000種の昆虫と、150種の野鳥がいるそうです。
人工的に植林した山とは違って、昔からの姿のままの山なんだろうな。

小さな花があちこちに咲いていて、足元から蛙らしき声もあちこちから聞こえてきます。蛙というとうるさいイメージがあるけど、なんだかうれしくなるようなきれいな声です。でも姿はみえません。

木々の写真を撮りながら歩いていたら、いつのまにかどこかでカメラを落としてしまいました。5時をまわって寒くなってきたので、カメラを探しながらひきかえしました。
見つからなかったけれど、でも人が作ったものだし、お金を出せば買えるからいいかな、と、なにか割り切れました。こういう自然みたいに、なくなったら取り返せないものとは違うから。。

——

そんなことを思ったのも、今、高尾山に圏央道のためにトンネルを掘ることがはじまろうとしている、ということを知ったからです。
トンネルを掘ったら滝や地下水が枯れてしまうだろうし、そうしたらここに棲んでいる動植物も、棲めなくなるものが多いでしょう。
でも国は、滝が枯れたら水道水を滝に流すと言っているそうです。
そんなめちゃくちゃな、と、思ったのだけど、別の日にメインストリートの1号道を歩いたら、「○日~○日に水道敷設工事を行います」という看板がいっぱいあって、ほんとにやろうとしてるんだ! と怖くなりました。

—–

別の日に、高尾山を守る活動をしている人たちが、トラスト地につくっているデッキに行ってきました。夏にこの人たちが主催しているキャンプに行ったときにも思ったのですが、いいエネルギーを感じて、頼れる人たちと感じます。

なんというかそういう活動って、どうしてもしんどいものになりがちだと思うんだけれど、そういうふうにはなっていなく、このあいだ行ったときも、逆に元気をもらったような感じでした。
反対するだけにとどまらず、もっと大きなヴィジョンをもっているからなのかな?
http://takao-kenju.sakura.ne.jp/index.html

高尾山の自然をできるだけ味わっておきたい。
でもそれを今だけのことにしたくない。
うん、道は、山を迂回してつくればいい。
We know better way.

PS)カメラは、翌日に電話したら、高尾登山鉄道の駅に届いていました。登山客が拾ってくれたのかな? 登山鉄道の人が郵送で送ってくれました!

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アイヌと沖縄の祭り~チャランケ祭

「チャランケ祭」というのに行ってきました。
アイヌと沖縄の祭りです。
「チャランケ」という言葉が、アイヌ語でも沖縄でもあるそうです。アイヌ語では「とことん話し合う」沖縄では「消えんなよ」という意味だそうです。それで、アイヌと沖縄の人が盛り上がって14年前にはじめたお祭りだそうで、今年なんと14回目だそうです。

場所は中野の北口広場でやりました。
駅前の、サンプラザの前、自転車置き場の隣の広場です。
駅前だから普通に通行人が、柵の向こうを歩いたり自転車で通ったりしていて、「なんだろう?」と、こっちをちょっと覗いていったりしています。

土日二日間あって、一日目は「カムイノミ」(神様に捧げるお祈りの儀式)からはじまりました。
アイヌの世界では「カムイ(神様)」というのは、クマやオオカミのカムイ、火や水のカムイなど、たくさんいるそうです。
そのなかで今日はまず、火のカムイにお祈りを捧げて、
「ここでチャランケ祭が行われることをこの地のカムイたちに告げ、北海道のふるさとから遠い地で死んでいったアイヌ達への先祖供養をする」ことからはじめるということでした。

その前に非公式に沖縄のエイサーがあって、盛り上がった後、少し離れた場所でカムイノミの儀式はとても静かにはじまりました。

木の下、だけどコンクリの地面の上にゴザを敷いて、アイヌの人たち、そして沖縄の人たちの代表者も座って、ゆっくりお酒を用意して、そのお酒を火のカムイに捧げて、そのとき長老はなんか口を動かしていたのでお祈りの言葉を捧げていたのかな? そしてそのお酒をゆっくりみんなに回して、、、煙草を吸ってそれも回したりもしていたな、、、すごく長い時間そうしていました。

私たちはそれをまわりで取り囲んで見ていたのだけど、すごく長い時間なので途中で席を外して出店を観にいったりしてしまったのだけど、戻ってきてもまだ変わらずゆっくりと続いていました。

あとで思うと見るんなら最後までちゃんと見ないと失礼だったかもな。
(アイヌの人たちはどう観られているかは全く気にしていなさそうだったけれど)

儀式が終わるまで、とても小さな声でお祈りを捧げるほかは、誰も何も言いません。

儀式が終わって、はじめて長老がマイクを取って、「これでカムイノミが終わりました。」みたいなごく簡単な挨拶をしました。
カムイノミのなかで、先祖供養やお祭りの報告のほか、参加者の人たちの道中の安全と健康もお祈りしてくれたそうです。

今日は朝から相方ともどもいまひとつ元気がなかったのに、お祭りの後元気が出て、あまり疲れも出なかったのはそのおかげだったのかな?

それからおもむろにアイヌの節回しで輪踊りがはじまって、少し踊った後、輪がほどけて、あとはゆるい感じでいろんな場所に人々は散らばり歓談したりしてました。しばらくしたらそこここで音楽がまたはじまりだしました。

私たちはオハウ(鮭と野菜のスープ)と、サーターアンダンギー(沖縄のまんまるいドーナツ)を同時に食べ、アイヌ文様のきり紙を体験して、出店を見て、夜も更けて寒くなってきたので早めにおいとましました。

でも、すごく長い時間そこにいたと思ったのに、2時間ちょっとしか経ってなかったのが不思議でした。時間が伸びた感じ。

それで家に帰る途中、足をちょっと伸ばして温泉に寄って帰りました。

お祭り自体はもっと夜遅くまで続いていたそうです。

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札幌に行ったとき友達が、
「札幌で鮭の季節になると、鮭のカムイに捧げるお祭りをやるんですよ。それがね、豊平川の河原でやるんだけど、町の中心部のすぐそこの河原だから、周りは高いビルがいっぱいあるし、こんなところで、と思うんだけど、そういうところで昔と変わらず地味~に続けていることがすごいと思うんだよね~。地味なんだけど、行ったら誰でも気軽に入れてくれるような感じでね~」
というようなことを言っていて、興味をひかれていたことを思い出しました。

東京でも同じように、中野の、ビルいっぱいで普通にごみごみした、あまり風情があるとも言えない町の中心で、とくに飾りつけをしたり特別感を演出をしたりすることもなく、そのまんまのその場所で祭りをやっていた。

自分たちの場所をみつけるためにどこか遠くを探すということではないんだな。

今、ここに住んでいるのだから、そこが自分たちの場所。そこに居て、やることをやることで、そこはすでに神聖な場所になってしまう、

そういうことなんだな、と思いました。
忘れていたことだな、と思いました。

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高尾山

12日の日曜日、高尾山に行ってきた。
高尾駅からバスで15分、「日影」というところで降りる。このへんは
「裏高尾」というみたい。少し行くと林道に入り、小川が流れていて、それに沿って歩く。とても涼しい!

少し行くと「日影キャンプ場」。
こじんまりとしたキャンプ場だ。
今日はここでイベントをやっているのだ。「高尾山エコラボキャンプ」。
音楽が聞こえてくる。
ほんとうはきのうからの二日間のイベントで、テントを張って泊まった人たちもいる。

出店で、オクラトロトロ丼を頼み、川のそばに座ってお昼ごはん。高尾でとれた野菜でつくったご飯。
300円だったのだけど、たくさん入っててお腹いっぱい。

食べ終わって川に入ってみる。キーンとするほどとても冷たい。でも少ししたら慣れてくる。
川のなかに、スイカがいくつか転がっていて、お茶やビールと一緒に冷やされている。自然の冷蔵庫。
子どもたちも川で遊んでいる。

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音楽は、ジャズから歌に変わった。
アンプを通したジャズは、演奏としてはすばらしいのだが、ちょっと山にはそぐわない気がした。
やっぱりジャズは都会の音楽のような気がする。

その後の歌のほうがしっくりきた。
なんというか、うまさをひけらかさない、ほんとにそのうたを歌いたくて歌っているうたという感じでよかった。でも私はあんまりじっくり聞くより、聞こえてくるという感じがよくて、出店などを見ながら聞いていた。

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原子力の研究者の小出裕章さんを見かけた。今朝、講演をしたのだが、私は間に合わなかった。でも先月私は小出さんの講演を聞いている。原子力にかつては未来を託すつもりで研究をしていたが、今は原発に反対の立場を取っている人だ。
なんというか、自分の主張を押し付ける感じががなくて、研究者として今までわかったこと、わからないことを伝えてくれる人、対話する人という感じ、そして本人は、得た知識を生き方のレベルに落とし込んで生きている人という印象。

キャンプ場での小出さんは、ビールを飲みながら、ひょうひょうとしていて、いろんな人と話しながら楽しんでいた。きのうから居たらしく、今日も一番最後まで居た。「先生」っぽいところが、少しもない。

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千羽鶴かと思って見たら、千羽ジュゴンがあった。沖縄に送るそうで、私も折り方を教わった。「上手に折ると、ジュゴンに似なくなるんですよ。だから慣れちゃうとむずかしいんです。」と、教えてくれた人が言っていた。

竹のお箸や、苔玉をつくるワークショップなどもあって、子どもたちが参加していた。私はヘンプの帽子を買った。

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音楽は、「東京アイヌ」と名乗る人たちの演奏になった。高尾に住むアイヌの3人組。ムックリやトンコリとあわせて歌ってくれる。すばらしかった。

アイヌ語で歌ったあと、「さっき、○○♪と歌ったのは、こういう意味です」と説明してくれる、その、説明のときの歌声もすばらしかった。「渡り鳥の姿が美しすぎて、漁師が撃てなかった」という歌とか、みんな自然の歌だった。

その歌を聴きながら、3歳ぐらいのきれいなワンピースを着た女の子が踊りまくっていた。そのうち興奮してワンピースを脱いでしまい、それを振り回して踊っていた。靴も脱いでしまっていた。

そのうちみんなで輪踊りになった。日本の盆踊りとは逆周りで回る。ひざをおりながら踊る踊り。たのしかった。

それから、沖縄出身のミュージシャンや、そのほかのミュージシャンをステージに呼んで、北から南までの音でジャムセッションをやる時間になった。

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アースデイとか、最近いろいろあるけど、街中の公園でなく、こういう自然のなかでやるイベントは、いい。

ほどよさが、とくによかったんだと思う。
盛り上げようとしすぎて、自然を壊してしまったり、自然のよさが見えなくなる感じ、つくりものっぽい感じが、なかった気がした。

でも2日間で延べ400人の人が集まったらしい。「400人も来ちゃったよ。アハハハ」と、主催者の女性が挨拶のときステージで豪快に笑っていた。若いと思うのにビッグママみたいな雰囲気のある人だ。いい味だしてる。

でも今度は何もないときに、またここに来たいな。近いうちに。

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高尾山に、道路のトンネルを掘る計画があるそうだ。
もしトンネルができたら、この夏の山の涼しさはなくなってしまうだろう。
いろんな虫や鳥の声、ムササビなどもいるらしい、そういう動植物はどうなるだろう。
東京を守っている貴重な山を壊してほしくない。

http://homepage2.nifty.com/kenju/

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