エヴァンジェリンのATと音楽

週末、ニューヨークから来日中の、エヴァンジェリン先生のワークショップにまた行ってきました。
ニューヨーク・フィルの現役チェリストで、アレクサンダー・テクニーク教師の人です。ニューヨークフィルの団員や、ユース団員の人たちを中心にアレクサンダーを教え、演奏をしている人です。

今回、エヴァンジェリンに会ってよかったことは、アレクサンダー・テクニークは手段であって目的じゃないんだな、ということをあらためて思い出させられたことです。

彼女のミュージシャンへのワークを観ていて、ミュージシャンにとって一番大事なのはいい演奏をすることで、彼女の一番の興味もそこにある、ということがよくわかる。

だから、と言ったら乱暴かもしれないけど、アレクサンダー・テクニークのワークとして観れば、けっこう単純化したワークだなあと思うところもあったし、荒っぽいワークなのです。
アレクサンダーのワークの持ち味の繊細さは、そこにはなかった。(いいすぎかな? エヴァンジェリンのダイレクトなしゃべりかたがうつったかも)

でも、この場合、それはそれでいい、と思った。

もちろん、時間をかけて回数をかさねてアレクサンダー・テクニークのレッスンをすれば、より深いところや、繊細なレベルで変化が起こったりするだろう。

でも、単純な原理として役に立つことを2、3、覚えておいて、あとは演奏のなかで応用しながら、いろいろ発見していく、という方法もある。

エヴァンジェリンは、原則的なところは、シンプルに済ませて、実際の音楽があらわれてくるのをサポートするような仕事に時間を割きたい、と思っている感じだった。そしてその仕事は、アレクサンダー・テクニーク教師としてというよりも、音楽家として彼女ができることなのだ。

ミュージシャンに音楽的なアドバイスをして、そのミュージシャンらしい音楽が出てきたときのワークはすばらしかったな。

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私なんかは今、アレクサンダー・テクニークを教えることが仕事になってて、今のところ他に仕事はないのだけど、ひとつのことを仕事にすることの落とし穴ってあると思う。

そのことを、極めたい、と思うこと。

それはもちろん悪いことじゃないけど、それで本末転倒になって何が大事かわからなくなる、という落とし穴はある。

専門家、ということの落とし穴かな。

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ほかに仕事もないから、私も人からみたら、専門家のはしくれに見えるかもしれないけど、いつもはじめたときのような気持ちでいたいし、私が知らないこと、できないことへの敬意はいつももっていたいな。

知らないことや、できないことに出会ったとき、それを「知らなきゃ」とか「できなきゃ」とか思う前に、知らないこと、できないこと自体をたのしむ余裕を、新しいことを教わっている時間自体をたのしむ余裕を、できるだけもっていられたらいいな。

私(石井ゆりこ)のアレクサンダー・テクニークのサイトはこちらです。

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