私がアレクサンダー・テクニックを教えてる理由

『キラーブランドの始まりは、路地裏のお店から』という本を読んで、
自分がアレクサンダー・テクニックを教えてる意味について考えました。

この本は東海地方の若者男子に大人気のメガネブランドのオーナーが書いた本で、自分の会社や商品を、どう「ブランディング/ブランド化」したかについての本です。
東海地方とか若者男子のファッションとか「ブランド化」とか、私には関係ない世界だなと思ったのですが評判になってる本みたいだったので読んでみたら、
すごくおもしろかったし私にもとても関係があった!

「ブランディング」とは、「らしさ」を追及することだった。


著者は、自分のお店のビジネスがダメになりそうになって、自分自身もダメになりそうになっていたとき、自分のお店のミッション~自分がそのお店をつづける意味を発見して、立ち直っていきます。
この見つける過程が、読んでてすごくひきこまれてしまうのですが、興味をもった人は本を読んでもらうとして、

じゃあ、私にとってアレクサンダー・テクニックを教えてる意味はなんなんでしょう?

出てきたのが、次のようなことです。

誰が何をいおうと、どんな情報があろうと、自分の身体を自分で信頼できる人、
自分の感受性を自分で信じられる人、自分で考えて自分で行動できる、
そんな個性的な大人に、みんながそれぞれなれれば、世の中もっと楽しくなる。
そんなふうになるために、自分の身体感覚をとぎすましたり、自分について知る、
そんな練習の場のひとつが、私の教室

これだけ読むと、わけわかんないかもしれません。
これから、もう少し伝わりやすいように、考えていきます。

でも、とりあえず、
私のところにアレクサンダー・テクニックを受けにくるきっかけは、
「楽器がもっとうまくなりたい」とか「緊張から解放されたい」
とか「声がもっと、らくに出したい」
だったりする人が多いと思いますが、
きっかけが何であれ、
楽器だけがうまくなるだけでなく、
緊張から解放されるだけでなく、
上のようなことを、どこかで感じて帰ってもらえたようなとき、
その人が「自分は自分でいいんだ」と、一瞬でも心の底から感じたのが伝わって
きたようなとき、
私はとてもうれしくなって、「この仕事をやっててよかったな」と、思うのです。

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5 thoughts on “私がアレクサンダー・テクニックを教えてる理由

  1. 覚えておられるでしょうか?
    以前、少しメールでお話しました山笛です。
    素敵な記事をありがとうございます。
    身体とは中の悪い人間なので、いろいろと感じることがありました。
    ときどき来ますね。
    山笛

  2. 山笛さん、
    おひさしぶりです!覚えていますよ~。数年前になりましたっけ? あのときのメールのやりとりは、実りの多いやりとりでした。
    コメントうれしいです!公開するための文章って、慣れないとむずかしいですよね。でもあんまり考えても書けないし、きのうは思いついたまま書いて公開してしまったのですが、書いた後、(わけわかんない文章だったのでは? 撤回しようかな?)などと、迷っていました。まあ、今は習作のつもりで、だんだん慣れていきますので、よろしくお願いします。
    ミスターながぐつさん、
    来てくださってありがとうございます。お気に入りにも入れてくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね。

  3. ゆりこさん、覚えてくださってうれしいです。
    私にとっても心と心が感じられるやり取りでした。
    ありがとうございます。
    撤回なんて、とんでもない。
    書いてくださいな・・・楽しみにしています。
    公に書く難しさはわかります。
    大事にしたい体験のほんとうのところは、幕の向こうだったり。
    その幕の向こうをそれぞれが空想するのも、また一興でしょうか。

  4. ゆりこさんへ。
    ゆりこさんのこのページは私にはとても刺激が強いのです。なんかどっか揺さぶられるのです。きっとゆりこさんが真摯に書いているからだと、思うのですが。
    このページを見ていると、「自分は自分でいいんだ」とか「自分に気づく」とか「自分について知る」というような言葉に対して起きる私の反応が超興味深いです。ATA東京ではよく「自分に戻って」というセリフが使われますが(最近そうでもないけど一時期ブームであった)そのたび私は固まります。「自分に戻る?はあ?」という感じ。強烈に、その「お誘い」に対して駄々をこねたくなります。今までそれがどうしてなのか不思議でしたが、書いていて思ったのは、「戻る自分なんてアタシにゃあ無いよ」という感じかもしれません。「自分」と言われてそれが何を指しているのかわからないんです。「自分に戻れ」と言われてもどこに戻ればいいのかわからなくって、なんか迷子の気分になります。私には「自分でいい」という「自分」なんてない。「知る」べき「自分」もない。今このように考えていることジタイがきっと「自分に気づく」家庭、いえ過程であるのでしょう。が、それでも「アタシは自分を知りたくない」「自分に気づきたくない」と思っています。能動的、受動的、両方の意味で「自分なんてない」と言いたいみたいです。あら、でもこれがもし「私に気づく」だとちょっと違って来ますね(書きながら考えているのでイロイロ飛躍してゴメンね)。「自分に気づく」と言う言葉よりもうちょっと「近く」なります。
    「私」はいるけど、「自分」はいない、ってことなのかも。
    でね、見栄を張りたいのです。私は。見栄と同時に願いとしても。「私は私の管轄外である」っていう願いを持っているのです。
    ゆりこさんへの初書き込み(ちうかそもそもネットへの初書き込み)なんかお尻メツメツになっちゃった。

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